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November 24, 2014

フランキー・ヴァリとフォー・シーズンズ(73) アルバム『BORN TO WANDER』A面紹介

しばらくぶりの更新となったが、シングル紹介を続ける前に、紹介していなかったフィリップス第1弾アルバム『BORN TO WANDER』を2回に分けて詳しくご紹介しておく。フォーク・アルバムということで敬遠気味だったのだが、じっくり聴いてみるとそれなりに評価すべき点も多々あった。

これまでの記事と表記の仕方を変えている部分もあり、一部過去に書いたものと重複しているが、あまり気にしないでいただきたい。

BORN TO WANDER
Ph129m_1

Ph129s_1

Ph129s_2

A1) BORN TO WANDER (Al Peterson)
A2) DON'T CRY, ELENA (Bob Gaudio)
A3) WHERE HAVE ALL THE FLOWERS GONE (Pete Seeger)
A4) CRY MYSELF TO SLEEP (Bob Crewe - Bob Gaudio)
A5) A BALLAD FOR OUR TIME (Lou Stallman - Sid Jacobson)
A6) SILENCE IS GOLDEN (Bob Crewe - Bob Gaudio)
B1) NEW TOWN (Phil Ochs)
B2) GOLDEN RIBBON (Bob Gaudio)
B3) LITTLE PONY (Get Along) (Bob Gaudio - Nick Massi)
B4) NO SURFIN' TODAY (Bob Crewe - Bob Gaudio)
B5) SEARCHING WIND (Bob Crewe - Bob Gaudio)
B6) MILLIE (Bob Gaudio)
THE 4 SEASONS Featuring the "Sound of Frankie Valli"
Produced by: Bob Crewe
Arranged and Conducted by: Charles Calello
Vocal Arrangements: Nick Massi
Engineer: Gordon Clark
Studio: Stea-Philips, NYC
Philips PHM 200-129 (mono) / PHS 600-129 (stereo) [February 1964]

フィリップスからの第1弾アルバム『ボーン・トゥー・ワンダー』は2曲を除き、1964年1月にステア=フィリップス・スタジオで録音された。ジャケットには「フォークの香りただよう、柔らかで魂のこもったバラード集」と大きく書かれている。ジャケット写真の雰囲気はとても良いのだが、1950年代末以来、それこそ学生を中心に流行していたフォークは、フォー・シーズンズの背景とも個性ともかなり距離があるようにも感じる。このアルバムの制作に至った背景を探るため、まずはタイトル曲の作者のストーリーを紹介する。

1940年にアイオワ州のデ・モインに生まれたアラン・ピータースンは、各地を転々としながら育った。1958年、名門美術大学であるロードアイランド造形大学に入学すると、歌える学生仲間たちと4人組のア・カペラ・グループを作って、キャンパスやコーヒー・ハウスなどでフォーク・ソングを歌うようになった。フォーク・ブームの当時は、似たようなグループがあちらこちらに自然発生していたのだ。1961年には5人目のメンバーとしてギター奏者を迎え、ザ・ヴィブラートスを名乗った(この名称のグループは、時代を超えてほかにいくつもある)。

1962年、彼らは自主制作LPの制作資金を調達するためのコンサートを開き、アルバムはボストンで録音された。そして出来上がったレコードがニューヨークのボブ・クルーの元に届き、クルーは彼らと3年間のマネージメントおよびレコーディングの契約を結ぶ。

フランキー・ヴァリとボブ・ゴーディオから歌唱指導を受け、ザ・ロード・アイランダーズと名付けられたグループは、ワーナー・ブラザーズにシングルを録音する。

5280a

5280b

A) BORN TO WANDER (Al Peterson) EX12504
B) SEARCHING WIND (Bob Crewe - Bob Gaudio) EX12502
THE RHODE ISLANDERS
A Bob Crewe Production
Arr. & Cond. By Chas. Calello
Warner Bros. 5280 [June 1962]

「ボーン・トゥー・ワンダー」は、ピータースンが1961年の夏休みにギターを弾きながら作った曲。リード・ヴォーカルはピータースンで、他のメンバー(男女混成)がハーモニーを付けた。アレンジはチャールズ・カレロが手掛けている。伴奏はアコースティック・ギター主体ではあるが、オルガンやホーン、ベルなども使われる。コーラスもフォークというよりドゥーワップっぽさがあり、このあたりは、カレロがただのフォークには終わらせなかったということだろう。

カップリングの「サーチング・ウインド」はクルーとゴーディオが用意した。こちらはコーラス主体で歌われるが、ベース・ヴォーカルが目立っていたり、女性のファルセットによるハミングも聞かれたり、やはりフォークを超越した面が感じられる。フォー・シーズンズ版よりテンポは遅め。

フランキーとボブはバックで歌ってはいないが、セッションの間コントロール・ルームにいて、レコーディングを見守っていた。ピータースンによればこの時フランキーは、自分の小さな子供たちをスタジオに連れてきてメンバーに引き合わせたそうで、彼らがビッグになると思っていたようだ。

だがレコードはヒットせず、オーヴァープロデュースだったと感じたクルーは、あとは自分たちでやるようにと、契約を解除した。そして大学卒業と共に、もともとプロの音楽家の集まりではなかったグループは解散、メンバーたちはそれぞれの道を歩む。

ヴィジュアル・アーティスト/詩人として名を成すことになるピータースンの創作意欲は既に音楽から詩へと移行していて、「ボーン・トゥー・ワンダー」は彼の唯一の音楽作品となった。

1963年から64年までイタリアに滞在していたピータースンが帰国してみると、自分たちのコーチ役を買って出てくれていたフランキーとボブが、フォー・シーズンズとして有名になっていることを知る。そればかりか、自分の曲を録音し、タイトルに冠したフォーク・アルバムまで出ていることに驚いた。ピータースンはそんなことは何も知らされていなかったのである。

本記事執筆にあたり、私からのメールでの質問に丁寧に答えてくれたピータースンの見方では、1963年にはフォーク・ソング・ブームは既に曲がり角に差し掛かっていたため、クルーはブームに便乗するには今しかないと感じて、このアルバムの制作に踏み切ったということだ。

あとは、とてもフォークのイメージとは結びつかない黒人音楽主体のヴィー・ジェイから、白人寄りで落ち着いた雰囲気もあるフィリップスに移ったことも、こういったアルバムの制作しやすさに繋がったのかも知れない。ボブ・クルーを中心とした“チーム”によるプロダクション・ワーク自体にはとりわけ大きな変化はなかったとしてもだ。

実際に、そのようにブームに便乗したような居心地の悪さは完全には拭えないが、フォークを単なる素材として扱って強引に自分たちの色に染めようとするわけではなく、フォークのスタイルに寄り添いつつ、主に得意とするコーラス・ワークの豊かさでしっかりと特色を出そうとしている点は認めたい。フランキーのファルセットは、ハーモニーで高域のパートを受け持つ際に控えめに使われる程度で、曲にもよるが出番はあまり多くない。

伴奏はほとんどがアコースティック楽器。基本的にエレキ・ギターもドラムスも使われず、ホーンやストリングスも入らずに、アコースティック・ギターやバンジョー、ウッド・ベース、パーカッション類などで組み立てられている。それだけに録音のクリアーさが求められるところだが、どういうわけか録音が優れているとはとても言い難く、曲にもよるが楽器の響きがきれいに捕らえられないばかりか、歪んでしまっているのは大きなマイナス・ポイント。ただし、ヴォーカル・ハーモニーは問題なく録れている。マスターの保存状態が悪くて現行CDの音が悪いわけではない。オリジナル・アナログ盤の時から(ステレオ盤もモノラル盤も)、そうなのである。

結局アルバムのセールスは思うように伸びず、ビルボード・アルバム・チャートの最高は84位にとどまった。セールス不振の理由を、キャッチーなヒット・シングルの不在に求めることはできるだろう。もともとフォークはアルバム志向だから、作り方としては「正しい」と言えなくもないが、フォー・シーズンズはやはりシングルをガンガン売るタイプだから、そういった意味でも無理があったのではないか。

ただし、既成の曲に頼るのではなく、むしろゴーディオのオリジナルが全12曲中8曲(以前に書いた曲や共作も含む)に及んでいる点を考えると、とりわけ他の3人とは出自のいささか異なるゴーディオの、より知的な方向にも進みたいという欲求が、この企画に向かわせた面も少しはあるのかも知れない。

「ボーン・トゥー・ワンダー」は、イントロでフランキーのファルセットが飛び出すが、あとはロード・アイランダーズ版よりもむしろフォークっぽさが強調されている。

「ドント・クライ、エレーナ」はゴーディオが書いた美しいオリジナル・フォーク。こういう曲が書けるということは、ゴーディオの資質というよりは柔軟性の証しだろう。

「花はどこへ行った〔ホエア・ハヴ・オール・ザ・フラワーズ・ゴーン〕」はフォーク界の最重要人物のひとり、ピート・シーガーの作で、フォーク・ソングとしての知名度、浸透度という意味でこのアルバムを代表する曲と言える。

シーガーは1948年にザ・ウィーヴァーズを結成し、1950年に「グッドナイト・アイリーン」のヒットを飛ばすが、共産主義者とみなされて赤狩り攻撃にあい、活動停止を余儀なくされる。失意の中でロシアのミハイル・ショーロホフの小説『静かなドン』を読んでいた時、そこに出てくるコサックの子守唄「コローダ・ドゥダー」の歌詞の一節が気になり、3行ほどをメモしていた。1955年、飛行機に乗っている時にそのメモからふと曲が浮かび、20分で3番までを完成させた。その後、シーガーが作ったその「花はどこへ行った」をコーヒーショップなどで仲間たちと歌っていた当時大学院生のジョー・ヒッカースン(民族音楽研究家)は、短すぎてすぐ終わってしまい、盛り上がりに欠けると思って4番と5番を作った。それだけでなく、1番から3番の歌詞にも若干手を入れている。

シーガーが作ったのは3番まで。

1番:花はどこへ行った→少女たちが摘んだ
2番:少女たちはどこへ→男たちに嫁いだ
3番:男たちはどこへ→兵士となり戦場へ

これにヒッカースンが4番、5番を加えた。

4番:兵士たちはどこへ→みんな死んでお墓へ
5番:お墓はどうなった→花で覆われた

そして5番から1番に戻って終わるというサイクルが出来上がった。

1961年12月にザ・キングストン・トリオがリリースしたシングルは年が明けてチャートを上り、ポップ・チャートで21位、イージー・リスニング・チャートでは4位と、初めてヒットを記録。1962年にピーター・ポール&メァリーが続いたことで、反戦歌として定着した。

フォー・シーズンズはコーラス・ハーモニー主体で歌っているが、ニックが施したヴォーカル・アレンジは、フォークのイディオムを意識しながらもより豊かなハーモニーを表現していて、さすがだ。各ヴァースの6行目、問いかけに対する答えの部分だけをフランキーがソロで歌っているが、よく聴いてみると、3番が通常は「♪みんな兵士となって戦場へ(Gone for soldiers everyone)」と歌われるところを、「♪みんな制服を着ていた(They're all in uniform)」という違う歌詞で歌っている。実はこれは、シーガーが1956年に3番までの歌詞だけで初録音した時に歌ったフレーズだったのである。さすがに4番~5番~1番までつなげて歌ってはいるが、少なくとも1番から3番まではヒッカースンが手を加える前のシーガーのオリジナルに忠実に歌っていて、感心してしまった。

「クライ・マイセルフ・トゥ・スリープ」はクルーとゴーディオのかなり早い時期の共作曲で、1962年1月に(第53回で1961年8月としたのは誤りだったので訂正しておく)トピックスから発売されたマシュー・リードのシングル「ロリポップス・ウェント・アウト・オブ・スタイル」のB面に収められていたのがオリジナル。アレンジをシド・バースが担当し、後のフォー・シーズンズのメンバーもコーラスで参加していたリード版に対し、ここではやはりフォークっぽさがより強調された。アレンジを手がけたチャールズ・カレロによれば、この曲は「悲しき朝やけ〔ドーン(ゴー・アウェイ)〕」「追憶のなぎさ〔ノー・サーフィン・トゥデイ〕」と共に1963年11月20日にアトランティック・スタジオで録音されたとのこと。後にシングル「ガール・カム・ラニング」のカップリング曲に選ばれ、ベスト盤『ザ・フォー・シーズンズ・ゴールド・ヴォールト・オブ・ヒッツ』にも収録された。

「ア・バラード・フォー・アワ・タイム」は、ルー・ストールマンとシド・ジェイコブスンの知られざる作品。駆け出しの頃のバリー・マンをサポートしたりもしたこのコンビの作品には、ディオン&ザ・ベルモンツの「ドント・ピティー・ミー」、ペギー・マーチの「レット・ハー・ゴー」などがある。作曲家ストールマンの初ヒットは、一九五六年にジョー・シャピーロと組んでドリフターズから独立後のクライド・マクファターに提供した「トレジャー・オブ・ラヴ」だが、この曲を持ち込んだ出版社からは、32小節の長さがないことをさんざん指摘された。確かにその長さが当時の通例だったが、ストールマンはそれを無視して24小節でこの曲を書き、ビルボードのポップ・チャートで16位、R&Bチャートで1位と、見事にヒットさせた。同じくシャピーロとの共作によるペリー・コモの「ラウンド・アンド・ラウンド」は1957年に全米第1位となった。1963年にはボブ・バンディンと組んでニューヨーク・ヤンキーズの球団歌「ヒア・カム・ザ・ヤンキーズ」(レコードの楽団伴奏はシド・バース)を書いた。ローラ・ニーロのカヴァーでも知られ、後にデニース・ウィリアムズもヒットさせた「イッツ・ゴナ・テイク・ア・ミラクル」(本来はリトル・アンソニー&ジ・インペリアルズのために書かれたが、彼らが印税の正当な支払いを求めてストライキ中だったためにザ・ロイヤレッツが初録音した)の作者としてもテディー・ランダーゾ(ランダッツォ)、ボブ・ワインステインと名を連ねている。作詞のジェイコブスンは作家、編集者などとして著名で、ハーヴィー・コミックスのキャラクター「リッチー・リッチ」などの生みの親でもある。

クルーとゴーディオが書いた「沈黙は金〔サイレンス・イズ・ゴールデン〕」は、とても美しいメロディーを持つ本番屈指の名曲と言えるだろう。後にイギリスのバンド、ザ・トレメローズがカヴァーし、1967年5月に全英チャートで1位に輝いた。アルバム発表時はステレオ盤にもモノラル・ミックスで収められた。その後、第50回で紹介したとおり、シングル「悲しきラグ・ドール」のカップリング曲となる。後にベスト盤『エディツィオーネ・ドロ(ゴールド・エディション)』で初登場となったステレオ・ヴァージョンは、ヴォーカルに深めのエコーがかかり、フェイド・アウトが少し長くなっていた。

B面については次回。

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