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September 21, 2014

公開間近の映画『ジャージー・ボーイズ』 観る前に知っておいてほしいこと

先日の「フランキー・ヴァリ&ザ・フォー・シーズンズ18枚組BOXの修正盤について」の記事で触れた修正盤は、ようやく昨日投函されたようだ(遅い!)。そして新規出荷ボックスのステッカー差し替えの提案についての返事はない。

さて、いよいよ、映画『ジャージー・ボーイズ』の日本公開まで、あと1週間となった。公式ホームページのコメント欄も、どんどん数が増えてきた。

本日(20日)発売の雑誌『キネマ旬報』10月上旬号は、『クリント・イーストウッド、最後のプロフェッショナル「ジャージー・ボーイズ」』と称して、16ページに渡る巻頭特集を組んでいる。メインとなるのは、第63回でも触れたように週刊文春でも連載「本音を申せば」で絶賛記事を書かれていた作家の小林信彦氏と、評論家の芝山幹郎氏との対談「永遠のスタンダード」。映画を始めとするアメリカ文化にお詳しいだろうお二人の対談は、読み応えがあるものだが、芝山氏の次の発言が引っかかった。

ビートルズが出てフォー・シーズンズが消えたようなもんでしたから。急にヒット曲が出なくなって、66年に一回解体しちゃうわけですよね。映画の最後で歌われる『1963年12月(あのすばらしき夜)』は再結成した後の歌です。1975年の曲で、ヴァリ以外はまったく別のメンバー。

最初の認識は、まるで間違っている。ビートルズが1964年にアメリカ上陸を果たし、他のグループも続き、ブリティッシュ・インヴェイジョンの大きな嵐が起こったとき、多くのアメリカン・ポップ・アーティストたちが失速したが、その逆風にもめげずにヒットを飛ばし続けることが出来た数少ないグループの一つが、フォー・シーズンズなのだから。

そして、「66年に一回解体」なんて、どこから出てきた話なんだ? 前回紹介のシングル「I've Got You Under My Skin(君はしっかり僕のもの)」以降も、フォー・シーズンズは1968年まで次のようにヒットを放っている(順位はビルボード)。

「Tell It To The Rain(雨に言っておくれ)」10位
「Beggin'(悲しきプロポーズ)」16位
「C'mon Marianne」9位
「Watch The Flowers Grow」30位
「Will You Love Me Tomorrow」24位

確かにこれ以降チャート上位からは遠ざかり、メンバーもしばしば交代はしたが、1975年に劇的な復活を遂げるまでの間にも、グループは一度も解散も活動停止もしていない。キネ旬読者の大半は、フォー・シーズンズのことなどほとんど知らないだろうから、誤った情報を流布してもらっては困る。

ただし、映画での彼らの描かれ方を真に受けたのだとしたら、「あの」時点でグループが一度バラバラになってしまったように錯覚してしまうのも、無理はないかも知れない。どういうことか説明しよう。

映画『ジャージー・ボーイズ』は、フォー・シーズンズを描いた作品である。これは間違いない。それでは、これは伝記なのか? そこが問題となる。

劇中に登場するエピソードの大半は、脚色されているとしても、実際に彼らに起こった出来事がもとになっている。だが、それをもって『ジャージー・ボーイズ』を伝記だと認識するのは危険である。なぜならば、それぞれのエピソードが、実際にあった時系列の通りには決して並んでいないからだ。

ネタバレにならないよう具体的な記述は避けるが、例を挙げると、描かれている出来事Aは、実際にあったこと。その出来事Aがあったことの結果として起こったように描かれる出来事Bも、実際にあったこと。観客は、こんな劇的なドラマがあったのかと、感動する。ところが現実では、出来事Bは出来事Aよりも何年も前に既に起こっていて、そこに因果関係は何もない。映画としての筋を整えるために、あえて前後関係を入れ換え、そのことで物語としてのダイナミズムを獲得しようとしたということになる。

ミュージカル版については誰よりも詳しいElaine'sさんも指摘している通り、映画では、最初にトミーが登場し観客に語り始める場面の「1951年」と、最後にロックの殿堂入りを果たす「1990年」以外に、年代は表示されない。つまり、それぞれが「いつ」の出来事なのかは、名言していないわけだ。しかもElaine'sさんによれば、ミュージカルから映画に置き換えるにあたり、前後関係・相関関係には更に手が入れられているというのである。

映画は「作品」なのだから、事実とは違う!と怒るのは筋違いだろう。私もこの「作品」を大いに評価している。ただし、とりわけ日本ではフォー・シーズンズのことはほとんど知られていないだけに、「ストーリー」が現実とごっちゃになって人々に広く認識されてしまうであろうことに関しては、複雑な気持ちでもある。

そこで、先の芝山氏の発言の根拠となった(?)描写について。一触即発のグループの中で蚊帳の外に置かれた感のあったニックが突然辞めてしまうのと、トミーがグループから一時離脱を余儀なくされるのが、ひとまとめに描かれているが、これはこのブログでも何度も書いているように、実際にはニック・マーシの脱退は1965年、トミー・デヴィートの離脱は1970年で、実に5年もの開きがある。その間に才能豊かなジョー・ロングが入り、グループは音楽的に更に発展していくのだが、映画で描かれるような人間ドラマの要素の少ない、純粋に音楽的な事柄は、物語的にはおいしくない、ということなのだろう。

そして、ニックとトミーが去ったあとでまたドラマがあり、フランキー・ヴァリのソロ「Can't Take My Eyes Off You(君の瞳に恋してる)」が誕生する、という筋書きになっているので、よく知らないと、グループ解散~ソロ活動へ、という図式に見えてしまうのである。これが芝山氏が勘違い(?)された一因ではなかろうか?

これも、このブログの読者ならご承知の通り、実際には1965年のファースト・ソロ・シングル「The Sun Ain't Gonna Shine (Anymore)(太陽はもう輝かない)」以降、フォー・シーズンズのグループとしての活動と、フランキー・ヴァリのソロ活動は「平行して」行われていくのである。だんだんその両者もミックスされたりするようにはなるのだが。

それにしても、第64回で書いたことの繰り返しになるが、「Can't Take My Eyes Off You」を「フォー・シーズンズの曲」と認識している人の多さには参ってしまう。これはむしろ逆に映画を観れば、フランキーのソロであるということがわかってもらえるだろうが。

なお、ネタバレ覚悟で、ミュージカル版と映画版の詳細な比較が知りたい方は、ぜひElaine'sさんのブログの記事「ステージからスクリーンへ(1) (2) (3) (4)」をお読み頂きたい。

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Comments

こんばんは、
その雑誌、何軒かの近くの書店に行ってみたのですが、どこでも「売り切れ」と言われまして(もともと大した部数を入荷していないのでしょうが…笑)再入荷待ちになってしまって、件の記事はまだ読んでいません。

私のほうのブログでは「この映画は、なぜ日本で高評価なのか」について書くつもりでいるのですが、まずは、この記事を読んでからと思っています…一方では、私のほうでも「首をかしげたくなる」コメントも目についてきました。

当初は、「日本人のほうがイーストウッド監督の繊細な描写を感じ取るセンスを持ってるんだろ」と思ったりしていましたが、だんだん「元の舞台を知らないから、これに尽きるのでは…?」と思うようになってきました。

映画評論の中心になっているのは、やはり「映画の人」で、基本はイーストウッド寄りの人たちでしょうし。

「ジャージー・ボーイズ」の映画については、「イーストウッドの人間描写」とか「イーストウッドの話芸」などが高く評価されていますが、これって元の舞台の脚本がそうなのであって…イーストウッドはそれをスクリーンに移してくれただけで、その手法は私も評価しているのですが「そこを誉めるのは違うだろ!」って感じですかね(笑)

まずは、私も記事を読んでみます。ではでは

Posted by: Elaines | September 21, 2014 at 01:02 AM

おはようございます。

昨夜のコメント、ちょっと補足しときます。(昨夜は半分寝ながら書いてました、すいません:)

キネマ旬報はまだ手元にないのですが、それでも、映画を観ただけであっても、ここに書かれている芝山氏のような解釈にならないのではないかな…という気がしまして、再度コメントさせていただきます。

映画では(舞台も同じですが)、二人が脱退した後、ボブが「新しいメンバーをオーディションで選んで加入させる」という話を嬉々としてフランキーに話す場面があります。「オーディション」という言葉に力が入っています。つまり、このシーンからは、これまでのように、古い人間関係が音楽活動にも影響を及ぼすような状況から脱却できるというボブの満足感も見て取れますし、そこからグループの再生が始まるという印象は持てると思います。

また、フランキーと交際していた恋人のロレインが「あなたがいつも最初に考えるのは(私ではなくて)トミーやボブやチャーリー」と不満を口にするシーンがあります。ここは映画でもそのまま使われていたと思いますが、ここで「チャーリー」の名前を挙げさせているのが重要だと思います。舞台でも映画でも、チャーリー・カレロはほとんど登場しませんが、この当時、彼が重要な役割を果たしていたことを窺わせるものです。

ですから、以上の2点を考えても、たとえ映画だけを見たとしても、芝山氏のような解釈にならないと思うのですが…というか、そう望みたいです。

とりあえず、私もその記事を早く読みたいと思います。ではでは

Posted by: Elaines | September 21, 2014 at 10:15 AM

Elainesさん、コメントありがとうございます。

私は昨日仕事帰りに地元の書店で買ったのですが、何部仕入れたのか、最後の1冊でした。

「オーディション」云々のところはよく覚えていなかったのですが、グループの存続が映画から感じ取れたのであれば、「一回解体」「再結成」という認識にはならないはずですよね。

まあ、何かの受け売りなんでしょうが、60年代後半~70年代前半の歴史を、なかったものにしないで欲しい、という思いです。

Posted by: さいとう(鳩サブロー) | September 21, 2014 at 05:14 PM

Elainesさん

今日改めて劇場で映画を観ました。

オリジナル・メンバーの4人のキャラクターが強く描かれていることもあり、この4人揃って初めて「フォー・シーズンズ」という印象を観客は強く持つと思います。

したがって、私のような事情通でないかぎり、画面からは、ニックとトミーが抜けてからのバンドを「フォー・シーズンズの続き」として見ることは難しいと思います。

ボブも既にステージには立っていないし、フランキー&ヒズ・バンドにしか見えません。入り口の看板はFrankie Valli & The Four Seasons(4 Seasonsだったか?)だったり、単にFrankie Valliだったりしていましたね。

日経の中条省平氏の映画評にも「バンドの成功と仲間の離反、解散を興味津々のドラマとして描きだす。だが、独立したフランキーが…」という表現がありました。

いい悪いではなく、そう見えるようになっているということです。

それから、ロレインの台詞の最後はチャーリーではなく、ジョーイでした。ジョー・ペシではなくジョー・ロングを指しているんだと思いますが、ここもよほど注意していないと、誰を指しているかわからないと思います。

Posted by: さいとう(鳩サブロー) | September 28, 2014 at 10:57 PM

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