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October 16, 2012

フランキー・ヴァリとザ・フォー・シーズンズ(25)

ザ・フォー・シーズンズのデビュー・アルバム『SHERRY & 11 OTHERS』(Vee-Jay VJLP 1053)、引き続きB面前半の曲目を検証する。

1. Never On Sunday (Towne - Hadjidakis)

ギリシャを代表する作曲家のひとり、マノス・ハジダキスが作詞作曲した1960年の映画『日曜はダメよ (Never On Sunday / Ποτέ Την Κυριακή [Pote Tin Kyriaki])』の主題歌。同年度のアカデミー賞主題歌賞を受賞したが、これは英語圏以外の映画音楽では初の快挙だった。この主題歌のギリシャ語のオリジナル・タイトルは「Τα Παιδιά του Πειραιά (Ta Paidia Tou Piraia)」(ピレウスの子供たち)で、劇中でメリナ・メルクーリが歌った。これにビリー・タウンが映画と同名のタイトルで英語の歌詞を付け、ザ・コーデッツ(1961年にビルボード・シングル・チャートで第13位を記録)、ペトゥラ・クラーク、コニー・フランシスなどがカヴァーした。

これらはいずれも比較的原曲に忠実なのに対し、フォー・シーズンズは、サビの歌いだしの ♪Most an-y-day~ のところのメロディーが本来は(キーがCとして)ソ~ラ~シ~ド~~と上がっていくところを、ミ~レ~ミ~ド~~と下がって解決するように変えてしまった。そんなこんなで原曲の持つ地中海的ともいえるエキゾティックな雰囲気を完全に消してしまっているのが興味深い。

1965年1月になってから「Connie-O」とのカップリングでシングル・カットされたが(VJ 639)、チャート・インはしなかった。

2. I Can't Give You Anything But Love (Fields - McHugh)

フランキー・ヴァリの敬愛するローズ・マーフィー (Rose Murphy) (1913年オハイオ州ジーニア生まれ、1989年没)へのオマージュ。巧みにピアノを操りながらカマトト・ヴォイスで軽妙に歌うこの黒人女性は、歌詞の間に"chee chee"というフレーズを挟むので、ザ・チー・チー・ガールの愛称でも親しまれた。彼女の十八番で何度も録音しているこの「捧ぐるは愛のみ」は、ルイ・アームストロングをはじめ多くの歌手や楽団が取り上げているスタンダード・ナンバー。

1928年からブロードウェイでロングランすることになるショー『1928年のブラックバーズ(Blackbirds of 1928)』のための音楽を準備していた作詞家ドロシー・フィールズと作曲家ジミー・マクヒューは、ニューヨークの5番街にある宝石店「ティファニー」の前を通りかかった時、宝石を買うお金がない若い男性が一緒にいた彼女に「あげられるのは愛だけなんだ」と言うのを耳にして、これだとばかりに近くの楽器店のショールームに駆け込み、一気に曲を書き上げた、という逸話が残っている。ショーでは女性歌手アドレイド・ホールが歌った。どうでもいい話だが、彼女にはアート・テイタムらの伴奏で歌った「You Gave Me Everything But Love(ラヴだけはくれないのね)」という曲もある。

フォー・シーズンズ版は、トランペット・ソロの間奏があるものの、サウンドそのものはジャジーではない。やはりポイントはヴォーカルで、ダメ押し的な"chee chee"というコーラスが終始絡む中、テープの回転を変えることでピッチを上げ、ローズ・マーフィーになりきった感のあるヴァリの超ハイトーンが強烈な印象を残す。そしてこのテープ速度を変えるギミックは、後にザ・ワンダー・フー?名義での一連の録音でも使われることになる。

3. The Girl In My Dreams (Josea - Davis - Ling)

ジェシー・ベルヴィンとユージン・チャーチのドゥーワップ・デュオ、ザ・クリークス (The Cliques) が1956年5月5日にモダンからリリースしたデビュー曲で、5月19日付けビルボード・シングル・チャートに1週だけランク・イン(45位)した。フォー・ラヴァーズも1956年4月12日の初セッションで「You're The Apple Of My Eye」などと共に録音し、同シングルのB面としてリリースしている。

フォー・ラヴァーズ盤、後述のトピックス盤およびこのフォー・シーズンズ盤では(ジョー・)ジョシー(トピックス盤およびフォー・シーズンズ盤ではJosiaと表記)、(マックスウェル・)デイヴィス、(サム・)リング作とクレジットされているが、クリークス盤ではもう一人、(ジュールズ・)トーブも作者として名を連ねている。だが実は、名前が載っていようといまいと、スペルが間違っていようと、どうでもいい話なのである。

ペンネームではそれぞれ別姓を名乗っているジョー、サムことソール、ジュールズの3人はハンガリー系ユダヤ人バイハリ家の実の兄弟で、長兄レスターと共にロサンゼルスでモダン・レコーズ(上記クリークス盤のリリース元)を興した。彼らは実際には曲など書きもしないのに、B.B.キングやジョン・リー・フッカーといった黒人アーティストのレコードに自分たちの名前を載せ著作権登録し、印税を搾取してきたのである。だからこの曲も実際には、モダンで多くの録音を手掛けたバンドリーダーで作曲家のマックスウェル・デイヴィスの単独作と考えるのが自然だろう。

フォー・ラヴァーズがメンバーを入れ替えながらその名前での活動を終え、フォー・シーズンズを名乗るまでにさまざまな変名で活動を行っていた時期にも、ザ・トピックス (The Topics) 名義で録音し(UK鑑賞団体のセッショングラフィーによれば1961年初頭となっているが、本当だろうか?)、1962年5月になってペリから片面シングルとしてリリースされた(PERRI L 1007)。シド・バースの編曲指揮とクレジットされたこのシングルの現物を私は入手しておらず、デンマークのスパークルトーンから1995年に出たフランキー・ヴァリ&ザ・フォー・シーズンズ名義のプライベート編集盤『THE FANTASTIC FIRST YEARS』 (Sparkletone SP 99005)でしか聴いていないが、ピッチのわずかな違いを除けば、フォー・シーズンズのものとまるで同じにしか聞こえない。

フォー・ラヴァーズでは2拍3連のリズムをピアノのコードで刻んでいたが、フォー・シーズンズではピアノのアルペジオに乗せてエレキ・ギターのワウ・ペダルを駆使し、幻想的な雰囲気を演出している。

ジョン・レノンが書いたザ・ビートルズの「Yes It Is」は、このフォー・シーズンズ版のアレンジを参考にしているのではないか(特にエンディング)、というJDさんの指摘には頷けるものがある。

(この項続く)

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October 14, 2012

フランキー・ヴァリとザ・フォー・シーズンズ(24)

1962年9月にリリースされたザ・フォー・シーズンズのデビュー・アルバム『SHERRY & 11 OTHERS』(Vee-Jay VJLP 1053)、そのA面の曲目を見ていこう。

1. Big Girls Don't Cry (Crewe - Gaudio)

アルバム発売翌月の1962年10月にシングル・カットされ、ビルボード・ホット100の第1位を11月17日付から5週連続で獲得した強力曲。当時付いた邦題は「恋はヤセがまん」だが、タイトルの由来は次の通り。

1955年の映画『対決の一瞬 (Tennessee's Partner)』(かのロナルド・レーガンも出演)を観ながら居眠りをしていたボブ・ゴーディオは、ジョン・ペイン演じる男性がロンダ・フレミング演じる女性を平手打ちした音で目を覚ました。そして女性が言い返した「大人なんだから泣かないわよ (Big girls don't cry)」という台詞を紙の切れ端に書き留め、翌朝曲に仕上げた……というのが以前の定説だったようだが、実際にはこの映画にはその台詞は存在せず、ボブ・クルーによれば彼自身が夜中に居眠りしながらテレビで観た1956年の映画『悪の対決 (Slightly Scarlet)』でペインがフレミングを虐待する場面に、実際にその台詞があったということだ。

ハンドクラップを効果的に使ったビートに乗せて、フランキー・ヴァリの強烈なファルセットとコーラスが交差するこの曲は、「Sherry」で編み出されたパターンを踏襲したとも言えるが、微妙にビートを早めたのが連続大ヒットにつながった要因だろうか。いずれにしても初期フォー・シーズンズを代表する魅力的な1曲である。

2. Yessir, That's My Baby (Kahn - Donaldson)

「My Blue Heaven(私の青空)」などで知られる作曲家ウォルター・ドナルドソンと、ドイツ出身の作詞家ガス・カーンのコンビが1925年に書いたフォックストロット(ダンス音楽形式の一つ)。さまざまなジャズ・バンドや歌手によって取り上げられ、1960年にはリッキー・ネルソンのR&Rヴァージョンがチャートで34位を記録。スウェーデンのロック・バンド、ザ・シェインズによる1963~64年頃のシャドウズ風エレキ・インスト・ヴァージョン、ジャック・ニーチーがプロデュースとアレンジを担当したヘイル&ザ・ハッシャバイズによるフィル・スペクター・サウンドのシングル(テンポは遅め。ヴォーカルはダーレン・ラヴっぽい)などもある。

(10/15追記:上記ヘイル&ザ・ハッシャバイズ (Hale & The Hushabyes) 名義の録音について補足しておく。「ヴォーカルはダーレン・ラヴっぽい」と書いたが、よく調べたらリード・ヴォーカルは彼女の妹のエドナ・ライトで、ダーレンはブライアン・ウィルソン、ジャッキー・デシャノン、ソニー&シェールという豪華メンバーとともにコーラスに参加していた。なお、1964年7月にアポジーからリリースされた際には、アーヴィング・バーリン作と誤ってクレジットされ、リプリーズからの再発時に訂正された)

このあたりは原曲のメロディーに比較的忠実だが、R&Bグループのザ・クローヴァーズがアトランティック契約前の1950年にレインボーからリリースしたヴァージョンは、テンポをぐっと落とし、譜割りばかりかメロディーも大きく改変したものだった。それをさらに別のメロディーに仕立て直したのが、女性ヴォーカリストのイヴォンヌ・ミルズ・ベーカーを擁するフィラデルフィアのドゥーワップ・グループ、ザ・センセーションズで、1956年にアトコから発売されたシングルはR&Bチャートで第15位を記録した。歌詞は同じだが同様に原形を留めていないフォー・シーズンズ版は、そのセンセーションズのヴァージョンを下敷きにしているようだ。

3. Peanuts (Joe Cook)

1922年フィラデルフィア生まれのリトル・ジョー・クック率いるドゥーワップ・グループ、リトル・ジョー&ザ・スリラーズ(1956年にオーケーからデビュー)が1957年にビルボード・シングル・チャートの23位に送り込んだ彼らの代表曲の、比較的ストレートなカヴァー。作者でヴォーカルのリトル・ジョーも強烈なファルセット・ヴォイスの持ち主だが、全編ファルセットのヴァリの歌声(テープ速度を変えている?)はより洗練され、全体のアンサンブルも完成度が高い。

このヴァージョンは、ヴィー=ジェイからフィリップスへの移籍をめぐるゴタゴタ騒ぎの最中、1963年12月にシングル・カットされたが(VJ 576)、チャート・インは果たせなかった(「Sherry」以降では初)。ラジオDJたちがB面の「Stay」の方をプレイし始めたため、ヴィー=ジェイが同曲を「Goodnight My Love」とのカップリングで翌月に出し直したのが理由である(「Stay」は全米16位を記録)。「Peanuts」は1966年3月にもザ・ワンダー・フー名義、「My Suger」とのカップリングでシングル発売されたが(VJ 717)、やはりチャートに登場することはできなかった。

4. La Dee Dah (Crewe - Slay)

テキサス生まれでクラシック・ピアノのトレーニングを受けたフランク・スレイは、R&Bのレコードを集め、ソングライター兼プロデューサーへの道を歩む。自作曲のデモを歌ってくれる人材を探していて1953年に出会ったのが、ボブ・クルーだった。チームを組んだ二人は独立レーベルの XYZを立ち上げ、1957年にニューヨークのR&Bグループ、ザ・レイズの「Silhouettes」(フォー・シーズンズも1963年にカヴァー)の作詞作曲・プロデュースで全米第3位のヒットを飛ばす。

クルー=スレイ・コンビが次に手掛けたのが、ニュージャージー出身のビリー・フォードとニューヨーク出身のリリー・ブライアントの男女デュオ、ビリー&リリーだった。1956年にR&Bデュオのミッキー&シルヴィアがヒットさせた「Love Is Strange」(バディー・ホリー、エヴァリー・ブラザーズ、ポール・マッカートニー&ウィングスなども録音している)からの影響を感じさせるこの「La Dee Dah」は、彼らが1958年にスワンからリリースしたデビュー曲で、全米チャート第9位を記録し、彼らの最大のヒット曲となった。

フランキー・ヴァリがフランキー・タイラー (Frankie Tyler) 名義で1958年7月にリリースした「I Go Ape」を共作したクルーとスレイは、続いて男性歌手フレディー・キャノンを手掛けたのち、1960年を境に別の道を歩む。

1959年に初のソロ・アルバム『KICKS』をリリースしていたクルーは、1960年に『CRAZY IN THE HEART』をリリースしたあたりから、後のフォー・シーズンズのメンバーたちと深く関わるようになり、彼のプロデューサーとしてキャリアの中で最も華々しい時期を迎えるのである。

一方、スレイはスワン・レコーズのプロデューサーとなり、歌手の伴奏だけでなく自身の楽団でもレコーディングを行った。そして1960年代後半には、サイケデリックからソフト・ロックへとスタイルを変化させていくロサンゼルスのバンド、ストロベリー・アラーム・クロックのプロデュースを手掛けることになる。

5. Teardrops (Golder - Stanley)

フィラデルフィアで1953年に結成されたドゥーワップ・グループ、リー・アンドルーズ&ザ・ハーツが1957年に全米ポップ・チャート20位 (R&Bチャートでは4位)に送り込んだヒット曲(その時のタイトルは「Tear Drops」)。フォー・シーズンズ盤では作者は(バリー・)ゴールダーと(ヘレン・)スタンリーの2名しかクレジットされていないが、アンドルーズ盤や出版された楽譜にはもう2名、ロイ・カルホーン(ザ・ハーツの第1テナー)とエドウィン・チャールズも共作者として名を連ねている。ただし4人とも、他にヒット曲を書いた実績はほとんどないものと思われる。

イントロのエフェクト処理されたwateryなギターは、第8回でもご紹介したようにヴィニー・ベルが弾いていると思われる。

6. Apple Of My Eye (O. Blackwell)

前身であるザ・フォー・ラヴァーズの初セッション(1956年4月12日)で録音され、同月にシングル(RCA Victor 47-6518)としてリリースされたデビュー曲(当時のタイトルは「You're The Apple Of My Eye」)のリメイク。フォー・ラヴァーズ時代にリリースしたうちで唯一チャート・インした作品で、6月16日付けビルボード・シングル・チャートの62位まで上昇した。このフォー・シーズンズ・ヴァージョンの方は、フィリップス移籍後の1964年9月にヴィー=ジェイから「Happy, Happy Birthday Baby」とのカップリングでシングル・カットされ(VJ 618)、ビルボードで106位まで上がった。

フォー・ラヴァーズは当初、1931年ブルックリン生まれのR&Bのシンガー・ソングライター、オーティス・ブラックウェルの「Don't Be Cruel(冷たくしないで)」を録音する予定だったが、紆余曲折があってその曲は当時日の出の勢いのエルヴィス・プレスリーが歌うことになり(1956年7月12日録音)、エルヴィス最大のヒット曲の一つとなった。ブラックウェルが代わりに提供した曲の一つがこの曲で、原曲は伝統的なR&B色が強かったようだが、フォー・ラヴァーズはそこにロックンロール的なエッセンスを加えた。

1956年のフォー・ラヴァーズと1962年のフォー・シーズンズ(共通メンバーはヴォーカルのフランキー・ヴァリとギターのトミー・デヴィートの2名)とを比べてみると、歌い方も演奏も、よりワイルドな前者に対して、テンポを落とした後者はより洗練されていると言える。前者では間奏でデヴィートの狂おしいソロがフィーチャーされているが、後者ではボブ・ゴーディオによるファルフィッサ・オルガン(?)による短めのソロに置き換えられている。

フォー・ラヴァーズ時代にはバンドを牽引する役割を担っていたトミー・デヴィートは、フォー・シーズンズになって以降、ギタリストとしてもその他の面でも、あまり前面に出てくることがなくなった。様々な録音を聴いていても、デヴィートのキャラクターというものが浮かび上がってこないのだ。

アンサンブルにおけるギターの比重があまり高くないことに加え、ギター・パートのうちどの程度を彼自身が弾き、どの程度をヴィニー・ベルなどのスタジオ・ミュージシャンに委ねていたのかが判らないということもある。曲も書かなければアレンジもしない、ソロで歌う場面もないデヴィートがフォー・シーズンズにおいて果たした音楽的な役割については、今後の研究課題の一つである。

(この項続く)

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October 04, 2012

フランキー・ヴァリとザ・フォー・シーズンズ(23)

デビュー・アルバム "SHERRY & 11 OTHERS" (Vee-Jay VJLP 1053)の紹介を続ける。

Lp1053m_1

前回載せたクレジットのように、プロデュースはボブ・クルー。アレンジにはボブ・クルー、ボブ・ゴーディオ、シド・バースの3人の名前があるが、これは曲によって分担したということだろう。指揮はクルーとなっているが、先行シングル「Sherry」とカップリングでアルバム未収録の「I've Cried Before」のアレンジと指揮はシド・バースだ(前回掲載のレーベル写真参照)。

シド・バースは1913年ニューヨーク生まれの作・編曲家、楽団指揮者(1993年没)。1950年代以降ジュビリー・レコード、続いてミューザック社(商業施設などで流されるBGMを制作する会社)のために働いた後、RCAの専属となり、ゲール・ガーネット、ミリアム・マケバ、エセル・エニスといった歌手の伴奏指揮のほか、スペース/ラウンジ系のインスト・アルバムなどを多数手掛けた。

バースは、1960~61年にボブ・クルーがプロデュースし後のフォー・シーズンズの面々がコーラスで参加した(クレジットがないので一部推測含む)フレディー・キャノン、ジョニー・ヘイロー、マシュー・リードといった歌手のシングルにも編曲指揮者としてクレジットされている。

フォー・シーズンズのメイン・アレンジャーとなるチャールズ・カレロは、既に1958年以降フランキー・ヴァリやクルーらと仕事をするようになっていたが、この時期は彼らと別行動をとっていたために、本作には登場しない。だが、シド・バースのアレンジが自分たちには時代遅れと感じていたメンバーたちは、カレロに戻ってきてくれるよう要請することになる。

コーラス・アレンジはメンバーで楽器も声もベース担当のニック・マッシが担当するが、これは彼の脱退まで続く。

録音はステア=フィリップス・スタジオでゴードン・クラークにより行われたと記載されているが、第10回でも触れたように、UK鑑賞団体のセッショングラフィーでは「Sherry」をミラサウンド・スタジオでの4月頃の録音(エンジニア名未記載)、残りをステア=フィリップスでの夏頃の録音としている。

セッショングラフィーでは、カップリングの「I've Cried Before」もステア=フィリップスでの夏頃の録音となっているが、マトリクス番号は「Sherry」と連番で(62-2569と2570)、リリースは7月だから、「Sherry」と同じ時の録音と考えるのが自然だろう。

また、10月にシングル・カットされ、「Sherry」に続いて全米チャート第1位を記録することになる「Big Girls Don't Cry(恋はヤセがまん)」について、澤山博之氏はレコード・コレクターズ1992年3月号の特集記事の中で「『シェリー』と同じセッションで録音され、どちらを先に出すか迷ったという曲」と書かれているが、これもどうだろうか。アルバム収録曲のマトリクス番号は「Lost Lullabye」の62-2637から「Oh Carol」の2646まで続き、クルーのプロデュース、クルーとボブ・ゴーディオ作でフォー・シーズンズがコーラス参加したジョン・コーリーのシングル(2647と2648)を挟んで「Big Girls Don't Cry」の2649、カップリングでやはりアルバム未収録の「Connie-O」の2650までが連番で続いているのだ。

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Vj465b

ウィキペディアのシド・バースの項では「Big Girls Don't Cry」のアレンジも彼だとしているが、ご覧の通りクレジットはない。真相は如何に?

(この項続く)

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