« May 2012 | Main | July 2012 »

June 11, 2012

フランキー・ヴァリとザ・フォー・シーズンズ(17)

UK鑑賞団体によるモーウェスト~モータウン期のセッショングラフィー(xlsファイル)が、ブログのこちらのエントリーと共にアップされた。ファイルを開くと既発表曲が黄色で、未発表曲が白の背景で表示されているが、実際に未発表録音の数も多く、また同一曲(録音)が複数のマスターに重複して収められているようで、整理し切れていない印象もある。未発表曲の中には、16トラックまたは24トラックのマルチトラック・マスターに収められたまま、最終的な2トラック・ステレオへのミックス・ダウンが未完のものもある。

第14回で(1971年)「11月から12月にかけて早速、ハリウッドのスタジオで15曲におよぶ一連の録音が行なわれた」と書いた根拠となったのは、1972年1月のTCBモータウン(TCBが何を意味するのかは不明)のニュースレターに掲載された記事だが、そのコピーが見つかったので、その15曲(セッショングラフィーによれば、録音もしくはミックスの日付が10月のものもあれば、1972年に入って仕上げられたものもあるようだ)を改めて整理してみる。

15曲中7曲は[17]([ ]の番号は例によって第3回のリスト参照) "CHAMELEON"収録曲。アルバムA面の1曲目(Prelude)と5曲目とに分かれて収録されている「A New Beginning」(1990年のライノからの編集盤"RARITIES, VOL. 2"では編集で一つに繋げられた)が1曲扱いで、先行シングルB面となった「Poor Fool」(セッショングラフィーの方には1972年1月19日録音もしくはミックスと記載)のみが抜けている。また、「You're A Song (That I Can't Sing)」は[17]にはスロー・ヴァージョンで収められているが、未発表のファスト・ヴァージョンもあり、こちらが先の録音かも知れない。

一方1975年の編集盤[19]"INSIDE YOU"で日の目を見たのは、ウィリー・ハッチ作詞・作曲・プロデュースの「Thank You」1曲のみ。

残りの7曲が未発表で、第14回でも紹介した「Save The Children」「My Heart Cries Out For You」のほか、「Thank You」と同じくハッチ作・プロデュースの「Girl, Don't Take Your Love From Me」、ザ・コーポレーション(The Corporation)(ベリー・ゴーディーなど4名の共同名義)のプロデュースによる「Time Will Tell」(ボブ・クルーと、後に映画『グリース』のサウンドトラックでソングライティングとプロデュースを担当するルイス・セント・ルイスとの合作で、セカンド・ネイチャーというアーティストが1972年、クルーのプロデュースでベルに録音)、作・プロデュース不明の「Never Gonna Give My Love To You」「Loving You, That's My Thing」、そしてセッショングラフィーに記載のない「It Would Be Easy」という内容である。

第14回で紹介した未発表の「What Love Has Joined Together」、後に[19]に収録された「Baby I Need Your Loving」も日付は明記されていないが、収められたマスター・テープの番号から判断すると、同じ時期の録音のようだ。

やはり[19]に収録された「Just Look What You Have Done」の録音もしくはミックスは1972年2月8日となっているが、同じ日付の注目曲に、まず「Stop, Look And Listen (To Your Heart)」がある。セッショングラフィーでは作者名が抜けているが、フィラデルフィアのソングライター・コンビ、トム・ベルとリンダ・クリードの作品で、1971年にスタイリスティックスがヒットさせている。フランキー・ヴァリのヴァージョンはハル・デイヴィスがプロデュースしたが、同じくデイヴィスがプロデュースしたヴァージョンが、ダイアナ・ロスとマーヴィン・ゲイの1973年のデュオ・アルバム"DIANA & MARVIN"にも収められていて(アレンジはジーン・ページ)、ヴァリ用のバックトラック(カラオケ)が流用された可能性もある。

ちなみに"DIANA & MARVIN"には複数のプロデューサーによる作品が集められているが、ボブ・ゴーディオも「Pledging My Love」でプロデュースと共同アレンジ(相方はデイヴ・ブルンバーグ)を手掛けている。

2月8日録音もしくはミックスのもう1曲は、フランキー・ヴァリ&ザ・フォー・シーズンズの「Life And Breath」。ヴァリ名義の[19]にも収められたこの曲は、5月の武蔵小山Live Cafe Againでのイヴェント「Good Old Boys~ザ・フォー・シーズンズ・ナイト」でもしまMOONさんが、ザ・モーメンツのヴァージョンと並べて紹介されていたので、ちょっと整理しておきたい。

まず、この曲の作者はジョージ・クリントンである。そして、1972年にザ・モーメンツとザ・ウィスパーズ、1974年にロニー・ダイソン、といった具合にソウル・アーティストたちがこの曲を録音しているので余計間違われやすいが、このジョージ・クリントン(George S. Clinton)は、あのP-ファンクの人ではない。れっきとした白人で、ナッシュビルでキャリアをスタートさせたあとLAに拠点を移し、ソングライター、アレンジャー、キーボード奏者として活躍した人物。後に映画音楽の分野で『オースティン・パワーズ』シリーズなどを手掛けた。

意外なところでは、南沙織のLA録音『シンシア・ストリート』(1975年6月21日発売)のB面全曲のアレンジと、2曲の作詞作曲を手掛けている。ちなみにB面の残り3曲を書いたのはアラン・オデイ、A面は全曲安井かずみの作詞・筒美京平の作編曲である。

クリントンは1974年に「Life And Breath」をセルフ・カヴァーしているが、恐らくオリジナルは、リード・ヴォーカルにソニー・ジェレイシー(Sonny Geraci)を擁するLAのバンド、クライマックスの1972年のシングルで、ビルボード最高位は52位ながらハワイで1位、LAのローカル局で11位となるなど局地的にヒットを記録した。ちなみにその前のシングル「Precious And Few」は全米第3位だったが、残念ながら後が続かなかった。

クライマックスの「Life And Breath」はYouTubeで楽しい解説付きで聴けるが、なかなかカッコいい仕上がりである。

そして、ヴィニー・ベルと思われるエレクトリック・シタールのイントロが印象的なフォー・シーズンズのヴァージョンも、当然ヒットの可能性はあったはずだが、1973年5月になってようやく、シングル「How Come」のB面という不本意な形でリリースされるに留まってしまったのだ。

(続く)

| | Comments (2) | TrackBack (0)

June 08, 2012

フランキー・ヴァリとザ・フォー・シーズンズ(16)

1973年3月25日のフランキー・ヴァリの突然の解散宣言にメンバーたちは困惑し、迫っていた海外ツアーをキャンセルできないかとマネージャーのケン・ロバーツに訴えるほどだったが、ヴァリ自身はさまざまな障害を乗り越え、ほんの数週間でグループに復帰した。

4月、サポート・バンドに新しいドラマーがやってきた。彼の名はジェリー・ポルチ(Gerry Polci)。ニュー・ジャージー出身の21歳で、デイヴ・ブルーベック・クォーテットのドラマー、ジョー・モレロと懇意だったということ以外、誰も彼のことはよく知らなかった。バック・ヴォーカルを志願したためマイクをセットしたところ、みな驚いてしまった。彼は、フォー・シーズンズの歴代メンバーの中でもずば抜けた歌唱力の持ち主だったのである。すぐさま正式メンバーに迎えられたことは、言うまでもない。

同じ月にはクレイ・ジョーダンも呼び戻された。秋にはサンフランシスコ音楽学校に戻るため、9月までの限定復帰という条件だった。

そして、ビル・デローチに代わる新しいキーボード奏者には、歌は苦手だがアレンジ能力に長けたリー・シャピロ(Lee Shapiro)が起用された。ニュー・ジャージー出身の19歳で、当時はマンハッタン音楽学校の生徒だった。

一方ギターのデミトリー・カラスは、フォー・シーズンズでのプレイを楽しんではいたが、もはやヒット・チャート上位への復帰はないだろうと希望を失い、この年の暮れに脱退を決意。後任としてスカウトされたのが、ドン・シコーニ(Don Ciccone)である。彼は1960年代半ばにザ・クリッターズ(The Critters)のヴォーカリスト、ギタリスト、コンポーザーとして活躍し、当時はスタジオ・ミュージシャンの傍ら音楽制作会社の経営にも携わっていた。ヴァリは知る由もなかったが、シコーニは1965年にフォー・シーズンズのコンサートを観て以来、彼らのファンだった。彼はオーディション抜きでグループに参加することになった。

かくして1974年、ザ・フォー・シーズンズはフランキー・ヴァリ=ジョー・ロング=ジェリー・ポルチ=リー・シャピロ=ドン・シコーニ(下の写真の上から時計回り)というラインナップとなる。

4s_74

そして、ザ・ハプニングスのライヴを観に行ったポルチは、バックで弾いていたギタリストが気に入り、声を掛ける。それがジョン・パイヴァ(John Paiva)だった。1974年5月6日、パイヴァはフォー・シーズンズのサポート・ギタリストとして初めてステージに立つ。

1970年代半ばに復活を遂げることになる新生フォー・シーズンズの立役者たちはこうして揃ったが、当時彼らはすでにモータウンを離れ、所属レーベルのない状態だった。モーウェスト~モータウンで何が起こったかという、第14回の続きは次回。

(続く)

| | Comments (2) | TrackBack (0)

June 06, 2012

フランキー・ヴァリとザ・フォー・シーズンズ(15)

アルバム"CHAMELEON"に収録された「The Night」など複数の曲をボブ・ゴーディオと共同で、あるいは単独で書いたアル・ルツィッカについて前回、「ゴーディオの代わりにグループ入りしたキーボード奏者」と書いたが、正式メンバーではなくサポート・ミュージシャンだったので訂正しておく。そもそも1970年代前半はメンバーの入れ替わりが激しくて判りにくいので、ここで整理しておこう。

恐らく1969年のことだと思うが、フォー・シーズンズでボルチモアをツアー中、ボブ・ゴーディオはテレビで地元のバンドの演奏を観て興味を持ち、連絡を取る。そのバンドのギタリストがボブ・グリム(Bob Grimm)だった。

ゴーディオは新たに立ち上げたレーベル、ガゼット(Gazette)(CBSのディストリビュートで1969年に1枚、70年に3枚のシングルをリリースしたのみで頓挫)からの第2弾および第3弾としてグリムたちのバンドのシングルをリリース。前者にはライト(Light)、後者にはラックス(Lux)というアーティスト名を使用したが、実質的には同じバンドだった。

バンドはすぐに解散してしまったが、ゴーディオはグリムをフォー・シーズンズのサポート・バンドのギタリストに起用する。フィリップスでの最後の録音となった1970年8月の「Lay Me Down (Wake Me Up)」の後半で歌に絡むハードなギター・ソロやカッティングはグリムによるものだろう。

オリジナル・ギタリスト、トミー・デヴィートの脱退(引退)時期については1970年末とするのが妥当だろうか。1971年1月26日にロンドンのモーガン・スタジオでロイ・シカラのエンジニアリングによって録音された「Whatever You Say」「Sleeping Man」(英ワーナーとのワンショット契約により、当初3月5日リリースと告知されたが実際には9月3日に市場に出た。ヒットはせず、直後に回収されたとの話もある)にはもうデヴィートは参加していない。ギターはもちろんグリムで、録音にも参加した当時のサポート・ドラマーはゲーリー・ヴォルピー(Gary Volpe)である。

フランキー・ヴァリ=ボブ・ゴーディオ=ジョー・ロング=ボブ・グリムというラインナップで1971年2月25日に英BBCの「トップ・オブ・ザ・ポップス」に出演した際の「Let's Hang On!」「I've Got You Under My Skin」の貴重な映像が、"JERSEY BEAT - THE MUSIC OF FRANKIE VALLI & THE 4 SEASONS"のDVDに収められている。

Image468

この写真はその時のもの。左からゴーディオ、ヴァリ、ロング、グリム。

卓越したギタリストだったグリムは、後ろで束ねた長髪、もじゃもじゃの髭面で、フォー・シーズンズのイメージには似つかわしくなかったが、デヴィートの後任を引き受け、9月のUKツアーにも参加。だが他の仕事のオファーもあり、11月には脱退してしまう。

正式に後任となったギタリストはデミトリー・カラス(Demetri Callas)で、彼は1968年にコロンビアからサイケデリック・ポップなシングルをリリースしたフレーヴァー(Flover)というバンドのメンバーだった。

そしてカラスがバンド仲間のキーボード奏者アル・ルツィッカを、そして1972年に入りヴォルピーの後任としてドラマーのポール・ウィルソン(Paul Wilson)を推薦したのだが、ルツィッカ、ヴォルピー同様にウィルソンもサポート・メンバー扱いだった。

一方、ステージ活動からリタイアしたボブ・ゴーディオの後任は、キーボード奏者ではなくギタリストのクレイ・ジョーダン(Clay Jordan)だった(経歴は不明)。1972年3月の時点でザ・フォー・シーズンズのラインナップはフランキー・ヴァリ、ジョー・ロング、デミトリー・カラス、クレイ・ジョーダンとなる。

Chameleon2

5月リリースの"CHAMELEON"に付けられたこのポートレートには、ジョーダンではなくゴーディオの写真が使われた。左から時計回りにヴァリ、ゴーディオ、カラス、ロング。
一方、下のシングル盤のジャケット(現物は持っていないのでネットから拝借)には、ジョーダンが右端に写っている。

Image5501

だがジョーダンはヴォーカル・パートがうまくこなせず、9月には脱退してしまう。続いてルツィッカも脱退し、カラスは新たにボルチモア出身でジェイクというグループのオルガン奏者のビル・デローチ(Bill DeLoach)を推薦した。

ウィルソンもまた家庭の事情から脱退の意思を示したが、これ以上のメンバー・チェンジを望まなかったヴァリから、正式メンバーへの抜擢を打診され了承(サポート・メンバーと正式メンバーとではギャラもかなり違うはずだ)。かくしてフォー・シーズンズは結成以来初めてドラマーを正式メンバーとし、5人組となった。

"JERSEY BEAT"のDVDでは、ヴァリ=ロング=カラス=デローチ=ウィルソンというラインナップで1972年11月25日にロサンゼルス・コロシアムに出演した際の「Dawn (Go Away)」のこれまた貴重な映像を観ることができる。デローチとウィルソンの顔はほとんど判別できないが。

ところがこのラインナップも長くは続かなかった。1973年3月初め、プエルト・リコ巡業中にウィルソンが断りなしに突然辞めてしまったのである。激怒したヴァリは残りの仕事をキャンセルしようとしたが、マネージャーのケン・ロバーツは代役を立てることで乗り切った。

実はこの時期、ヴァリのフラストレーションはたまりまくっていた。胃潰瘍や骨硬化症による難聴に悩まされ、13年間の結婚生活は破局を迎え、グループにゴーディオがいないことにも耐えられなくなっていたのだ。

そして3月25日のニュー・ジャージーでのコンサート中、デローチが喉が痛くてソロ・パートが歌えないと訴えた。ヴァリは観客にこのことを気付かせずに舞台を完璧にこなしたが、ついに楽屋で爆発し、もうグループは解散だと言い放ったのである。

(続く)

| | Comments (4) | TrackBack (0)

« May 2012 | Main | July 2012 »