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February 25, 2011

サイモン&ガーファンクルの録音をめぐる謎(その1)

ブログの更新が、またしても1年以上開いてしまった。これからはまたぼちぼち書いていきたいと思っているが(ホントか?)、今後は特にテーマをピアソラやタンゴに絞らないことにしたい。そうした情報を期待してここを訪れてくださる方には申し訳ないが、書きたいことを気ままに書くほうが、続けられる気がするからだ。
ということで、今回のテーマはサイモン&ガーファンクル。私にとって、中学時代に洋楽の入り口となったアーティストで、それなりに思い入れも深い。

サイモン&ガーファンクルが残したオリジナル・アルバムは『水曜の朝、午前3時』『サウンド・オブ・サイレンス』『パセリ・セージ・ローズマリー・アンド・タイム』『ブックエンド』『明日に架ける橋』の5枚。デビュー作以外はLPを中学の時に買い揃えたが、いつしか処分してしまい、だいぶ経ってから全タイトルをCD3枚に収録した『サイモン&ガーファンクル全集』(91年発売)を改めて買ったのだった。
97年に出た3枚組『オールド・フレンズ』にはすぐに飛びついた。3年もの期間を掛けて丁寧にリサーチされた好編集盤で、探し出されたオリジナル・マスターからリマスターされた主要音源のほか、未発表曲、デモ、ライヴ・ヴァージョンなど15曲の貴重音源が蔵出しされていたからだ。シングルのみの発売だった「君の可愛い嘘 You Don’t Know Where Your Interest Eyes」が恐らく初めてステレオ・ヴァージョンで収録されたのも嬉しかった。
それをベースに、01年には全アルバムがリマスター+ボーナス・トラック付でリニューアルされ、”The Columbia Studio Recordings 1964-1970”のタイトルで5枚組BOX(簡易紙ジャケをロング・ボックスに収納)でも発売されたり、日本で独自に紙ジャケットやBlu-spec CDなどで再発されたりもしたが、これらは入手の機会を逃していた。

先月のとある日、新宿のディスクユニオンで中古盤を物色していたら、先の5枚組BOXを、DVDとほぼ同サイズの変形デジパック仕様に変更したものを発見。あれっ、こんな仕様でも出ていたっけ?と思いながら、1,800円(の10%OFF)という超お手軽価格もあってついに購入。帰ってから調べたら、ヨーロッパのSony Music Entertainmentが昨年(2010年)11月にリリースしたものだった(品番は88697787862)。もともと低価格だったようで、例えばamazon.co.jpでは、この文章を書き始めた時点では2,912円だったが、現在は2,477円、そして発売前の価格は1,987円だったようだ。

綴じ込みの分厚いブックレットを挟んで5枚のCDが左右見開きにコンパクトに収められた、本のような装丁は、見た目はとてもよろしいのだが、盤の出し入れは非常に面倒。実際の写真がこちらのブログにアップされているのでご参照いただきたいが、盤を引っ掛けるようになっているバネ状のツメはすぐにでも折れてしまいそうだし(実際に、すでに1ヶ所折れてしまった)、盤が重なりあっているので、奥の盤を取り出すには、手前の盤を一旦外さなければならない。盤に傷が付きやすいし、ズボラな人には向かないだろう。

それはともかく、肝心のブックレットの15ページ、アルバム『サウンド・オブ・サイレンス』のクレジット部分の右段に重大な誤植があるのに気付いた。そこにはボーナス・トラック4曲分の曲目、分数、録音日および全曲の作者、出版社クレジットが並ぶはずが、誤って『水曜の朝、午前3時』の同部分がそっくりそのまま記載されていたのだ。編集段階でのミスだろうが、廉価の弊害はこんなところに、といった感じだ。01年版のBOXに付いているブックレットには誤りがないことは、お持ちの方にお聞きして判った。また、『サウンド・オブ・サイレンス』の単独盤を近くのレンタルショップで確認したところ、これも当然正しかったが、メモを取るわけにもいかず、金を出して借りるのもばかばかしい話。そこで直接メーカーに問い合わせてみようと思ったが、発売元らしきSony Music UKには問い合わせフォームがなく、USAには問い合わせてみたが返事は来ず。最後に日本のサイトに問い合わせたところ「当社では輸入・販売を行っておりません」「個別のお問い合わせにつきましてはご購入いただきました販売店にお申し出くださるよう」というつれない返事。それならば最後の手段と、新宿に出掛けたついでにディスクユニオンに再度立ち寄ったところ、運よく『サウンド・オブ・サイレンス』国内盤が中古で店頭に出ていたので、事情を説明して、書き写させてもらうことにした。それをもとにデータを入力し、文字の大きさやフォントを似せた感じにしてプリント・アウトし、貼り付けたのがこの写真。プリンタの限界で、文字の太さは変えられなかったのだが。今回の盤を買われた方はご参照いただきたい。
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ブックレットに掲載されたクレジット、原盤ライナー、バド・スコッパによる新規ライナー、歌詞、写真などは、すべて01年のリマスター盤5タイトルの各ブックレットの記載内容と同じだろう。各アルバムの裏ジャケットの写真が未掲載なのは残念だが、ここに記載されているデータが現在の「公式な」ものと判断していいだろう。
各アルバム収録曲の録音日と録音場所(ニューヨーク、ハリウッドなどの都市名のみ)は、72年に『サイモンとガーファンクル・グレーテスト・ヒット』(本人編集による初の公式ベスト。現在の邦題は『サイモン&ガーファンクル・グレイテスト・ヒッツ』)が出たときにCBS・ソニーが特典として制作した「S&G読本」に写真のような感じで載っていたが(一部は不明とされている)、このデータはこれが初出ではなく、当時出ていた各LP(SONX-6万番台で68~70年に出たCBS・ソニー初回盤およびSOPM-100番台の73年度再発盤)にも掲載されていたような気がする(手元にないので確認できないが)。
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『オールド・フレンズ』やリマスター盤には全曲の録音日が載っているが、録音場所は書かれていない。さらに付け加えるならば、複数の日にちにまたがっているはずの録音も、記載されているのは1日分だけである(「読本」では2日分記載されている曲もある)。残念ながら、各セッションの参加ミュージシャンの記載はない。60年代のレコードには記載されないのが普通だったから仕方ないのだが(『明日に架ける橋』にはもともとベーシックなメンバーは記載)、ポール・サイモンの3枚組『グレイト・ソングブック1964/1993』のブックレットには、曲によってはクレジットが掲載されていた(録音日の記載はなし)。

サイモン&ガーファンクルの最も有名なエピソードの一つが、65年に「サウンド・オブ・サイレンス」(サイモンのギター伴奏で前年3月10日録音、アルバム『水曜の朝、午前3時』所収)が本人たちに断りなくエレクトリック・ヴァージョンに改変されてシングル・カットされ(8月発売。ヴァージョン違いでもレーベル面には「From the Columbia Lp “Wednesday Morning, 3 A.M.”」と記載されていたことを先日ネット上で確認)、12月に全米第1位になった話だろう。プロデューサーのトム・ウィルスンは6月15日、ニューヨークのCBSスタジオでボブ・ディランの「ライク・ア・ローリング・ストーン」の録音直後に、そこに参加したミュージシャンたちに残ってもらってオーヴァーダブを行ったというのが通説になっている。レコード・コレクターズ誌93年12月号の特集記事(後に同誌増刊『アメリカン・ロックVOL.2』に再録)で宇田和弘氏は「ディランのディスコグラフィによれば、この時のメンバーはマイク・ブルームフィールド、ハーヴィ・ブルックス、ボビー・グレッグである」と書いている。確かにディランの『ブートレッグ・シリーズⅠ~Ⅲ』でも同日録音された曲目のパーソネルはそうなっている。だが『グレイト・ソングブック』で明らかにされた実際のメンバーは、ギターがアル・ゴーゴーニ Al Gorgoni(同年1月15日の『ブリンギング・イット・オール・バック・ホーム』のセッションには参加しているが、「ライク・ア・ローリング・ストーン」を含む『追憶のハイウェイ61』のセッションでは名前を見かけない。『ブートレッグ・シリーズ』ではGorgoneと誤植)、ベースがボブ・ブッシュネル Bob Bushnell、そしてドラムスは指摘どおりのボビー・グレッグ Bobby Greggだったのである。ジョセフ・モレラ/パトリシア・バーレイ著『サイモンとガーファンクル 旧友』(福島英美香訳/音楽之友社)でもオーヴァーダブは6月15日とされているが(どのCDにもこの日付はクレジットされていない)、ディランのセッション後に同一メンバーで、という前提が崩れたとすれば、この日付もいささか怪しくなってくる。

アルバム『サウンド・オブ・サイレンス』は、タイトル曲の大ヒットを受けて65年12月に急遽制作されたものだが(このタイミングでプロデューサーがトム・ウィルスンからボブ・ジョンストンに交替)、この中の2曲、「どこにもいないよ Somewhere They Can’t Find Me」「はりきってゆこう We’ve Got A Groovy Thing Goin’」(いずれもアコースティック&エレクトリック・ギター、ベース、ドラムス、エレクトリック・ピアノ、トランペット、ストリングスという編成。「サウンド・オブ・サイレンス」のように後から付け足されたものとは到底思えない)はウィルスンのプロデュースで4月15日に録音されていたものである。後者はシングル「サウンド・オブ・サイレンス」のカップリング曲として先に発売されているから、この日付は正しいのだろうが、なぜこの時期にこのような録音が行われたのか。
フォーク・スタイルのデビュー作『水曜の朝、午前3時』は64年10月にリリースされたがさっぱり評判を呼ばず、過去にも放浪したことのあるイギリスに舞い戻ったサイモンはフォーク・クラブを回り、65年1月にはBBCでラジオ放送用に12曲を録音。そして5月にはロンドンのCBSでソロ・アルバム『ポール・サイモン・ソング・ブック』を録音した(この時のレパートリーが『サウンド・オブ・サイレンス』の中核を成すことになる)。一方、ボストンのラジオDJが「サウンド・オブ・サイレンス」に注目し、オンエアーするたびに学生たちを中心に反響があり、その話がトム・ウィルスンに伝わったのが春以降のこと。そして6月のオーヴァーダブ・セッションへ、という流れとなるのだが、デュオとしての活動が休止状態だった4月に、エレクトリック・サウンドの「どこにもいないよ」(12月に録音することになるデイヴィ・グレアム作のギター・インスト「アンジー」からイントロを借用し、「水曜の朝、午前3時」を改変した歌詞が歌われる)と「はりきってゆこう」が録音された経緯がまったく不明なのだ。彼らについて書かれたさまざまな文献を読んでみても、その部分は完全にスルーされている。楽曲の構造から歌詞の内容、時代背景に至る精緻な分析が瞠目に値する佐藤実氏の『サイモン&ガーファンクル全曲解説』(アルテスパブリッシング、09年)においてすら、この経緯は見過ごされている。
これは推測だが、『水曜の朝、午前3時』がまったく当たらなかったので、ウィルスンとしては違うスタイルで何かやってみるべきだということで、サイモンが一時ニューヨークに舞い戻ったタイミングでシングル用にお手軽に(本人たちは渋々?)2曲録音してみたが(実際のところ、他の曲と比べてきっちり作り込まれた感じは希薄だが、どちらもトランペットやエレクトリック・ピアノ――ポール・グリフィンか?――が印象的で、個人的には嫌いではない)、ちょうど時を同じくして「サウンド・オブ・サイレンス」に注目が集まってきたので、ウィルスンとしてはそちらをプロモートしていく方向にシフトしたということではないだろうか。オーヴァーダブの件が二人に知らされなかったのは、サイモンがイギリスに戻り、ガーファンクルも彼のもとを訪れていたからだ(もちろん本気で知らせようと思えば、連絡は取れたはずだが)。

ボブ・ジョンストンがプロデュースを務めた12月のセッションは、13日と14日にニューヨークで、21日と22日にハリウッドで行われ、少なくとも10曲を録音。そのうち『サウンド・オブ・サイレンス』(早くも66年1月17日には発売)に収録されたのは8曲で、14日録音の「早く家に帰りたい Homeward Bound」はあえてアルバムから外し、1月にシングルで発売の後(全米第5位の大ヒット)、次作『パセリ・セージ・ローズマリー・アンド・タイム』の方に収録された。もう1曲、21日録音の「ブルース・ラン・ザ・ゲーム Blues Run The Game」(ジャクスン・C.フランク作)は当時未発表に終わり、97年の『オールド・フレンズ』で初登場。現在はリマスター版にボーナス・トラックとして収められている。
前述の録音場所は「読本」に従ったが、『サイモンとガーファンクル 旧友』や、デイヴィッド・フリックによる『オールド・フレンズ』のライナーでは、ニューヨークとハリウッドのほかにナッシュビルでも録音が行われたとの記述がある。実際はどうだったのか。
手がかりとなるであろう、セッションに参加したスタジオ・ミュージシャンの名前は公式には明らかにはされていないが、『旧友』によると「ボブ・ジョンストンの古い友人のジョー・サウスがアトランタから参加して〈早く家に帰りたい〉のバックに加わり、ポール・グリフィンがピアノを弾いた。〈ブレスト〉ではグレン・キャンベルがギターを弾いた」とのことだ。ジョー・サウスが14日のセッションに参加した場所はナッシュビルではないかと疑ったが、実はたまたまニューヨークにいてセッションに呼ばれたらしい(後述する鶴岡氏からの情報)。また、同書には、エンジニアのロイ・ハリーがナッシュビルでのセッションに参加できず、彼抜きで制作した「アイ・アム・ア・ロック」をポールは不満に思っていたので、再録音を決意したとの記述もある。「アイ・アム・ア・ロック」の14日というのも、再録音の日付だろう。そもそも13日にニューヨーク、14日にナッシュビルというスケジュールにも無理がある。ということで、やはり録音場所は「読本」の記述どおりで、ナッシュビルでもニューヨークに先駆けて録音は行われたが、最終的にはそこでの録音は1曲も採用されなかった、というのが私なりの結論である。

さらにもう一つの謎がある。ハリウッドの著名なスタジオ・ミュージシャンであるハル・ブレイン(ドラムス)やキャロル・ケイ(ベース)が、自分の参加したセッション・リストに「早く家に帰りたい」「アイ・アム・ア・ロック」を挙げているのである。これについて、彼らの当時の動向に詳しく『急がば廻れ’99 アメリカン・ポップ・ミュージックの隠された真実』(音楽之友社)の著作もある鶴岡雄二さん(@metalside )はtwitterで「デモだったとか、なにかそういうことなのではないかと疑っています。ハリウッドのトラックのにおいがしない、ハルらしいプレイには聞こえない」と書かれている。鶴岡氏によれば、ハリウッドのプレイヤーたちがわざわざニューヨークに赴くことは「きわめて稀」ということだ。一方、グレン・キャンベルが参加した(ということは間違いなくハリウッド録音。日付は21日)「ブレスト」に関しても「ドラマーはなじみの人には思えず」と。ハル・ブレイン参加の確証は得られないままだが、限られたスケジュールの中で、試行錯誤しながら同じ曲をあちこちのスタジオで録音した様子は、なんとなく想像できる。その割に、前述の「ブルース・ラン・ザ・ゲーム」以外に当時の録音がボーナス・トラックなどで蔵出しされないのはなぜだろう。既にテープは破棄されたのか? 『サウンド・オブ・サイレンス』リマスター盤に収録された他のボーナス・トラック3曲は、いずれも『明日に架ける橋』発表後の70年7月、つまりデュオとしてほとんど崩壊していた時期に、サイモンが64~65年の英国時代に覚えたと思われるトラディショナル3曲をサイモンのギター伴奏で録音していたものだったのである。

長くなってしまったので、続きはまたいずれ。

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