« January 2005 | Main | March 2005 »

February 24, 2005

エドゥモンダ・アルディーニとアメリータ・バルタールとピアソラ(改定版)

イタリアの女優、エドゥモンダ・アルディーニ Edmonda Aldini とピアソラの共演盤"Rabbia e Tango"(『嫉妬とタンゴ』、とでも訳すのでしょうか。本サイトのディスコグラフィー・パート4の#109)は、ピアソラのアルバムの中でも相当なレア・アイテムです。オリジナルLPの入手は極めて困難で、一切再発もされず、アルゼンチンなどイタリア国外での発売もなし。CD化もされていません。私も資料を通してその存在は知っていたものの、『闘うタンゴ』執筆当時は入手が叶わず、322ページに「現物も未確認で詳細は不明」と書くに留まったのでした。

その幻のアルバムを、イタリアのオンラインショップを通じてようやく入手出来たのが、2000年の秋。内容については雑誌「ラティーナ」同年12月号の記事「タンゴを求めてイタリアへ」で簡単に紹介しました。エドゥモンダ・アルディーニの歌は、ちょっとエキゾチックというかミステリアスというか、なかなか魅力的で、ピアソラとの相性も悪くない。この人の経歴とか素性については、いまだによく判らないのですが、このアルバムの前にはRicordiからギリシャのミキス・テオドラキス作品集"Canzoni in esilio"をリリース(現物は未確認)、それ以前から歌手としての録音活動は行っていたようです。またレコードがあるかどうかは不明ですが、(恐らく舞台で)ブレヒト=ワイル作品集も歌っていたとか。ちなみに、ラテンアメリカ関連では、チリのフォルクローレ・グループ、インティ・イリマニがイサベル・パラと共にローマで録音したビオレータ・パラ作品集"Canto para una semilla(Canto per un seme)"(手元にあるイタリア盤 Vedette MLP 5554は1978年発売)にヴォーカリストとして参加しています。

肝心の内容ですが、全曲がピアソラ=フェレール作品で、もともとアメリータ・バルタールのために書かれたものばかり。スペイン語で歌われる「彼へのバラード」以外はイタリア語に訳されています。曲目は以下の通り。

Lato 1
(1)母なる大地、わが母(最初の言葉)
(2)彼へのバラード
(3)金星の女たち
(4)ロコへのバラード
Lato 2
(1)3001年へのプレリュード
(2)白い自転車
(3)わが死へのバラード
(4)最新ニュース(新聞売り少年へのプレリュード)

このうち、1-(4)と2-(1)(3)の3曲には、何と前回ご紹介したアメリータ・バルタールのFermata盤およびパガーニ関連CDに登場する同曲とそれぞれ同じオケが使われています。アメリータの各種盤も含めてどこにも一切の表記はありませんが(この3曲が収められていると思われるスペインAriola盤こそ未確認ですが)、この演奏はコンフント9によるものに間違いないでしょう。ちなみに残りの曲は、1-(1)がコンフント9もしくはそれに近い編成での録音、残りの4曲の伴奏は五重奏団です。

そこで気になるのは、このアルバムがいつどのように制作されたのかという点。レコード番号はSMRL 6117で、レーベル面に(P)1974とあるのですが、いろいろ調べてみたところ、実は同じRicordiのSMRL 6123がプログレ・バンド、バンコ(・デル・ムトゥオ・ソッソルソ)の『自由への扉』で、これは1973年リリースのようです。番号が近い他のいくつかのレコードも参照した限りでは、"Rabbia e tango"の発売は、74年としてもごく最初の時期と思われます。録音年月日については記載がありません。録音場所はミラノのモンディアル・スタジオ(『リベルタンゴ』以降の諸作が録音されたところ)と書いてあります。

研究家カルロス・クリはこの録音を1972年としています。一方、オラシオ・フェレールの大著"El libro del tango"のピアソラの項には、

1973年にアグリ、マルビチーノ、キチョ、タランティーノと五重奏団を再結成し、ブエノスアイレスのコリエンテス劇場で5公演、ブラジルでアメリータ・バルタールと17公演し、7月にオデオン劇場でオスバルド・プグリエーセ楽団と共演した。新たにドイツとイタリアを旅し、そこでは女優のエドゥモンダ・アルディーニがオラシオ・フェレールと共作した8曲を録音した。
と書かれています。ちなみに、プグリエーセと共演したオデオン劇場公演のライヴ盤がミランからの『天使の死』ですね。また、サイモン・コリアーとマリア・スサーナ・アッシの共著"Le Grand Tango - The Life and Music of Astor Piazzolla"(Oxford University Press, 2000)での記述はこんな感じです。
1973年3月初め、ピアソラは再びヨーロッパに飛んだ。イタリアではミーナとTV番組を収録し4月5日にオンエアー、また女優のエドゥモンダ・アルディーニとの巨大劇場ツアーを計画していると告知された。その件について一切の続報はなかったが、彼女は後にピアソラと録音している。
ツアーに関する話題は、アルゼンチンの日刊紙「クラリン」1973年4月8日付がソースだそう。コリアーとアッシによれば、ブラジル公演は7月28日にスタートとのことですから、これはオーケストラ編成で「平穏な一日」を録音した翌日ということになります。フェレールの記述は、かなり実際の流れと時間が前後しているようです。

私もさんざん悩みましたが、アメリータ・バルタールとエドゥモンダ・アルディーニの一連の録音の経緯についてたどり着いた結論は、次のようなものです。

1972年、CBSを離れRCAと契約したアメリータは、ビアソラと共にピアソラ=フェレール作品の録音を継続的に行っていく。まず2月に「最初の言葉」「もういらない」を録音し、すぐにシングルで発売された。2曲とも、バンドネオン抜きのオーケストラ編成で、特に前者は管楽器などの加わった派手なアレンジが施されていた。もしかすると、同時期にコンフント9での録音も行われ、これがエドゥモンダのアルバムに転用された可能性もある(もちろんアメリータ+コンフント9の形ではリリースされていない)。いずれにしてもステージで歌うアメリータを伴奏するためにコンフント9用の編曲も書かれたのは確実。エドゥモンダのアルバムの冒頭を飾るコンフント9(?)との「最初の言葉」は、アメリータ+オーケストラのそれとは、かなり雰囲気が異なる。
3月22日にはアメリータとオーケストラ(コンフント9に楽器をプラス)による「悲しきゴルド」が録音されたが、何故か76年までリリースされなかった。
9月に発売されたアメリータとピアソラのシングルが「ラス・シウダーデス」(バンドネオン抜きオーケストラ伴奏)と「ブエノスアイレスの雨傘」(コンフント9が伴奏)。この頃までに「3001年へのプレリュード」「わが死へのバラード」「ロコへのバラード」のコンフント9との再録音(オリジナルはCBSへのオーケストラ編成での録音)、オーケストラとの「行こう、ニーナ」の録音も行われていたと思われる。これらをアルバムとしてまとめる予定があったのかどうかは定かではないが、その可能性は考えられる。いずれにしても最後の4曲がこの時録音されたと仮定して、その後RCAからリリースされることはなかった。1998年に日本のBMGでコンフント9の2枚組CD『バルダリート』のボーナス・トラックとして収められるまでは。

エドゥモンダの"Rabbia e tango"の録音は、1972年か1973年のどちらかである。72年だったとすると、コンフント9で4月にイタリアを訪れた際に録音されたことになるだろうが(この時ミーナと「わが死へのバラード」を録音している)、それなら全曲をコンフント9で伴奏してもよさそうなものだ。
1973年(既にコンフント9は解散)と仮定すると、8曲中3曲は、お蔵入りしていたアメリータとの録音からコンフント9によるオケを流用し、残りは当時の五重奏団で録音したことになる。問題は、この年に五重奏団でイタリアに行ったかどうか。行っていないとすれば(ピアソラの単独行)、ブエノスアイレスで伴奏だけ録音し、ミラノで歌を被せた、ということも考えられる。「最初の言葉」のオケに関しては、アメリータとコンフント9の72年の没テイク(もしあったとすれば)を流用、五重奏団+α(≠コンフント9)で73年ブエノス録音、五重奏団+現地調達ミュージシャンで73年ミラノ録音、の3つの説が考えられる。
この「最初の言葉」以外はすべて、アメリータのCBSからの2枚のアルバムに収められていたレパートリーで、通常ステージでは五重奏団が伴奏していた(コンフント9の活動時期は除く)。五重奏団が伴奏するこれらの曲(ここでは4曲だけだが)の録音は貴重だが、アレンジはすべてアメリータ用のものがそのまま使われていると思われる。

アメリータは73年、RCAからアルバム"Cantandole a mi tierra"をリリースしているが、これは彼女本来のフォルクローレ路線に戻っての作品で(ケロ・パラシオスがギター伴奏)、ピアソラとは関係がない。
翌74年、ピアソラと完全に分かれる寸前のアメリータは、ミラノでピアソラ指揮オーケストラ(メンバーはほとんどイタリア人)と「マティルデへの小さな歌」「みんなのビオレータ」を録音、アルゼンチンでは75年にTrovaからシングルでリリースされた。この2曲と、それまでにRCAで録音された既発売曲・未発売曲を抱き合わせるかたちでスペインでAriolaから、ブラジルでFermataからリリースされたのが10曲入りの"Amelita Baltar"である。もしエドゥモンダの"Rabbia e tango"が1972年録音で、「3001年」など3曲がもともとエドゥモンダのための伴奏だったとすると、この時に改めて同じオケにアメリータのヴォーカルが被せられた可能性も、なくはないのだが。

とまぁ、こんな感じでしょうか。長くてすみません。それにしても、エドゥモンダのアルバムなんてほとんど誰も聴いていないわけですよね(私の友人の熱狂的ピアソラ・ファンで一人持っている人はいますが)。そんなアルバムのことを長々と書くのも、どこかむなしいものがありますが。Ricordiの権利を持っているレコード会社の担当者にCD化を勧めてみたことはあるのですが、いくらピアソラでも歌の伴奏で、しかも主役の歌手が知名度ゼロでは、セールス的に難しいということで、そのままになってしまいました。

| | Comments (1) | TrackBack (0)

February 13, 2005

アストル・ピアソラの芸術? その4

Bella Musicaからの10枚のうち、ピアソラとホセ・アンヘル・トレージェスのVol. 6と、アメリータ・バルタールのアルバムVol. 7は、もともとパガーニが制作を手掛けたもので、原盤権も持っているのではないかと思われ、一応正しい復刻といえます。Vol. 6のオリジナルLPはアルゼンチンTrova盤"Balada para un loco"(DA 5006)で、古くからピアソラ・ファンにはおなじみのもの。クラウンからの『ロコへのバラード[+2]』ではオリジナル・ジャケットを使用しました。

これがアメリータのVol. 7になると、話が複雑になってきます。もとになるLPは、74年にスペインのAriolaから出た"Amelita Baltar"というものなのですが、実は今に至るまで、このLPを入手出来ず、詳細を確認できずにいるのです。92年にアルゼンチンで発売された雑誌"Los grandes del tango"No.85のアメリータ特集のディスコグラフィーには、このLPの曲目として8曲が載っているのですが、これが混乱のもとだったと言えます。

ピアソラが伴奏を手掛けたアメリータ・バルタールのLPは、『アメリータ・バルタール、ピアソラ=フェレールを歌う』(1970)と『白い自転車』(1971)がCBSから出ました(ピアソラは当時RCA専属だったので、CBS盤では名前を出していません)。日本ではどちらも『ピアソラの箱』に収められたのち、単独盤が現在もソニーから発売中ですから、お馴染みでしょう。72年にはアメリータもRCAに移籍し、2月に「最初の言葉/もういらない」、9月に「ラス・シウダデス/ブエノスアイレスの雨傘」がそれぞれシングルで発売されています。また、3月に録音された「悲しきゴルド」は、76年になって4曲入りEP"El gordo triste"に収められて世に出ました。これらの録音は、アルゼンチンではLPにはまとめられず、92年になってピアソラ=フェレールの"En persona"とのカップリングという形でようやく1枚のCDにまとめられたのです。

先の"Los grandes..."に載っていた8曲とは、RCAからシングルやEPで出た5曲と、アルゼンチンではTrovaから出たシングル「マティルデへの小さな歌/みんなのビオレータ」、それにアルゼンチンでは未発表に終わった「行こう、ニーナ」というもの。

さて、93年にカナダのJust A Memoryからリリースされた3枚組"Tangamente 1968-1973 Amelita Baltar / Horacio Ferrer"には、CBS盤とは別録音の「ロコへのバラード」「3001年へのプレリュード」「わが死へのバラード」が収められていて、当時は驚いたものです。その後出たパガーニ関連CD、つまりBella Musica盤Vol. 7の元になったブラジルMovieplay盤やポルトガルPersonality盤では、冒頭にこの3曲を置き、先の8曲から「悲しきゴルド」を抜いた7曲がそれに続いていました。なぜ「悲しきゴルド」を抜くのかも合点がいかず。Bella Musica盤には「悲しきゴルド」も入っていましたが、明らかに音が悪いし、「マティルデへの小さな歌」の頭も切れていました。やれやれ。

閑話休題。これらの盤に収録の「ロコへのバラード」ら3曲は未発表録音と思い、『闘うタンゴ』にもそう書きました。RCAへの未発表録音の可能性もあるとふんで、コンフント9のCD『バルダリート』を編集する際、ボーナス・トラックとして権利関係を確認して貰ったら、BMGもよくわからないままOKが出た、なんてことまでありました。ところが、事実はどうも違っていたようなのです。

実はもう2年半も前の話なのですが、私はブラジルのFermataから75年にリリースされたアメリータのLPを入手しました。それは何と、Movieplay盤などと同じ10曲入りだったのです。つまり「ロコへのバラード」ら3曲が入っていて、「悲しきゴルド」は入っていませんでした。あの3曲は未発表なんかじゃなかった!

未だ見ぬスペインAriola盤も、Fermata盤同様10曲入りだった、と考えると、すべてのつじつまが合います。このアメリータのアルバムと関連があると思われるのが、74年にイタリアで発売されたエドゥモンダ・アルディーニのアルバム。『闘うタンゴ』には登場しないこの幻の作品については、また改めてご紹介することにしましょう。

Fermata盤のジャケットと曲目は、ディスコグラフィーの#115を参照してください。それにしてもAriola盤、もう長いこと探しているのですが、見つかりません。番号が88.714-1ということまでは判ったのですが。

| | Comments (3) | TrackBack (1)

February 12, 2005

アストル・ピアソラの芸術? その3

ピアソラ・キンテートの初代ヴァイオリン奏者だったシモン・バジュール(1928年4月生まれ)が、11日に亡くなったそうです。ご冥福をお祈りします。

さて、問題の10枚組BOXに話を移そうと思います。"Astor Piazzolla"(TIM 205554)という表記でいいのかな? Yahoo!オークションに出ているものは、ドイツ盤なのに必ず『アストル・ピアソラの芸術』と題されている、というのがよくわからないのですが。

実は、Pagani/Bella MusicaからのライセンスによるTIMからの10枚組、というのは2001年にも同様のものが出回っていました。白地にピアソラのヘタクソなイラストのBOXで、40ページほどのブックレットが付いていました(これも私は持っていなくて、タワーレコードで税抜3,290円で購入した友人からの情報)。今回のは解説はないんでしたっけ? 
曲目(曲順)が同じかどうかは確認していませんが、まあ同じようなものでしょう。今回のBOXの曲目が、Bella Musica盤のどのCDに該当するか、整理してみました(ホントはこんなことやってるヒマはないんですけどね)。
なお、Bella Musica盤のうち、Vol. 3からVol. 10までは、それ以前に何らかの形で出ていたもの。Vol. 1と2がBella Musicaで新たに編集されたものですが、初出の録音は皆無で、どちらも半数以上の曲が他の盤と重複しています。

Bella Musica盤(以下同) Vol. 3 → BOX(以下同) [1] 1-3 [2] 5-7 [4] 1-6
Vol. 7 → [1] 4-8 [2] 1-4 [3] 1-2
Vol. 2 → [1] 9-11 [2] 8-10 [3] 3-6 [7] 10
Vol. 6 (カラオケ3曲除く)→ [3] 7-10 [4] 7-8 [5] 1-2
Vol. 4 → [4] 9-10 [5] 7-9 [6] 1-3 [7] 9
Vol. 8 → [5] 3-6, 10 [6] 4-10
Vol. 1 → [7] 1-6, 8 [8] 7-9 [9] 5, 10
Vol. 9 → [7] 7 [8] 1-4 [9] 1-4, 11 [10] 9-10
Vol. 5 (Buenos Aires hora cero除く)→ [8] 5-6 [9] 6-7 [10] 4-8, 11
Vol. 10 (CD 1のみ) → [8] 10-11 [9] 8-9, 12-14 [10] 1-3

BOX自体が手元にないので、演奏時間も記載された曲目一覧と曲順を見ながら当てはめてみましたが、もともと重複があるわけで、同じ演奏が2回出てくることもあります。

ちょっとずつの固まりが分散されられている感じですが、曲順も変えられていたり。しかしまあ、何の意味もなくこんなにバラバラにできるもんですねぇ。感心してしまいます。「バンドネオン協奏曲」("Aconcagua"と表記されていますが、これはピアソラが倒れた後パガーニが勝手に付けたタイトル。ひどいね)なんか、第1楽章が[CD 7]に、第2楽章と第3楽章が[CD 4]に入っている。これにどんな意味があるというのでしょう。安かろう悪かろうでは、ピアソラも浮かばれないよ。

| | Comments (1) | TrackBack (0)

February 10, 2005

アストル・ピアソラの芸術? 番外

前回プラッツからの3タイトルについて

結果的にこれら3タイトルは00年7月の発売直後に回収となりました。
などと書きましたが、これは私の記憶違いでした。どうもすみません。回収されたのは、『四季』と『ザ・ムービーズ』の2枚で、『孤独の歳月』は販売が続けられたのでした(今はもう廃盤でしょうけど)。

これらの経緯については、当時よしむらさんのページの掲示板で話題になりました。過去ログの[5]あたりにコメントが並んでいますのでご参照を。

| | Comments (0) | TrackBack (0)

February 09, 2005

アストル・ピアソラの芸術? その2

(前回の続き)

Bella Musicaは日本のさる仲介業者を通じて、日本の各レコード会社に売り込みをかけてきました。いくつか断られたあと、関心を示したのがクラウン。99年のある日、クラウンの担当者から私のところに、こういう売り込みがあって発売を検討したいんだけど、どういう内容か、という電話かありました。私は詳細を説明しましたが、それでも出したいというので、その中で比較的まともなものだけピックアップしてリリースすることになりました。それが次の5タイトル。

Vol.3→『アディオス・ノニーノ』(Crown CRCI-20402)
Vol.4→『3つのコンチェルト』(CRCI-20404)
Vol.5→『ブエノスアイレス1976』(CRCI-20406)
Vol.6+Vol.7から2曲→『ロコへのバラード+2』(CRCI-20403)
Vol.9→『ローマ1972』(CRCI-20405)

アメリータのVol.7から2曲というのは、残りの9曲はBMGからの『バルダリート』にボーナス・トラックとして収録済みだったからです。

Bella Musica盤で問題だったのは、パガーニ音源の従来盤、例えばポルトガルPersonality盤、イタリアSaludos Amigos盤、米ANS盤などと比べて、音質が落ちていたり、曲の頭が切れていたり、タイトルが間違っていたりなど、編集が更にずさんになっていた点。しかもマスターとして送られてきたのは、市販のCD盤そのものでしたから、これは使えないと判断して、それぞれ同じ録音の、より良質の盤をマスターとして使いました。例えばVol.3は、ダビングを繰り返した感じで音の鮮度が落ち、左右のセパレーションも悪くなっていましたから、アルゼンチンTrova盤"Adios Nonino"(CD-404)を使ったのだと思います(記憶が不鮮明なので、もしかしたら違う盤だったかも知れません)。

Trovaは70年代にビクターと契約して、日本盤LPも出ましたが、当時は契約が切れていました。『ブエノスアイレスのマリア』がオーマガトキからCDで出ていたのが、ビクター契約切れの時期ですね(ビクターとTrovaは00年に再契約し、『マリア』の現行盤や、ピアソラが参加したエドゥアルド・ラゴスの『アシ・ノス・グスタ』が出たわけです)。そんなわけで、Tvora音源の権利関係も怪しかったけれど(これにも経緯がありましたが長くなるので省きます)クラウンからサブライセンスの形で出すことにしたわけです。ジャケットにTrovaオリジナルを使うのも、本当は反則ワザだったんですけどね。海賊ライヴも、出すなら少しはマシな形で、という思いでした。クラウンの当時の担当者も、もうそこにはいません。

またまた事情を複雑にしたのは、さる仲介業者が、クラウンが契約~発売を見送った残り4タイトルを、更に別のレコード会社に売ったこと。それに手を出したのが学研のプラッツ・レーベルだったのです。『ライヴ・イン・ウィーン』『AA印の悲しみ』で実績を挙げたプラッツですが、その2枚を担当したディレクター氏は社内の他部署に移った後。中身の善し悪しも判らず、出そうとしてしまったわけですね。Vol.10『ミラノ1984』(これも「レビラード」と「エスクアロ」のタイトルが入れ替わっていたり、曲の頭が切れたりしていた)はまだしも、Vol.1を元にした『四季』、Vol.2を元にした『孤独の歳月』、Vol.8『ザ・ムービーズ』(前2者はVol.8と重複する曲目をカット)は、いずれも問題が多過ぎるということを指摘、結果的にこれら3タイトルは00年7月の発売直後に回収となりました。

(まだまだ続きます)

| | Comments (0) | TrackBack (0)

アストル・ピアソラの芸術?

アルゼンチン・ワーナー盤"Tres minutos con la realidad"(Milan 5046-65598-2)が手元に届きました。内容はEU・ユニバーサル盤(Milan 198 178-2)とまったく同一でした。ピアソラの挨拶と「プレリュードとフーガ」はしっかり収録されています。ユニバーサル盤はあまり市場に出回っていないので、ラティーナがワーナー盤の取り扱いを開始したことで、入手しやすくなりました。

さて、某匿名掲示板で、少し前に話題になっていた(荒れる原因にもなってしまった)廉価盤10枚組ですが(ヤフーオークションで『アストル・ピアソラの芸術』などと題してよく出ています)、まず最初に、私はそのセットは持っていませんし、例え安かろうと、買う気もありません。だから実際に聴いていないことを前提に、解説しておきます。

買わなくても中身が判るのは、もちろん曲目を見れば想像がつくからですが、サイトに載ったボックス裏の写真のクレジットをみれば一目瞭然、Licensed by Pagani Srl/Bella Musicaと書いてあるではありませんか。

かつてのピアソラのマネージャーであり、ピアソラのイタリア・カローゼッロ時代のプロデューサーでもあったアルド・パガーニの悪行については、これまでもあちこちで散々書いてきました。特にピアソラの死後、手持ちの音源(合法的なものと明らかに非合法のものが混在しているから、また始末が悪い)を各国の様々なレーベルに売りさばいて、ファンを混乱に陥れてきたわけですが、そのまとめ的(?)なものが、98年にドイツのBella Musicaからリリースされた10タイトル。一応以下に記しておきます。Vol.10のみが2枚組。

Vol. 1 Piazzolla en suite (BM-CD 31.7031)
Vol. 2 Anos de soledad (31.7032)
Vol. 3 Maria de Buenos Aires (31.7033)
Vol. 4 Piazzolla concertant (31.7034)
Vol. 5 Piazzolla & el Conjunto electronico (31.7035)
Vol. 6 Piazzolla & Jose Angel Trelles (31.7036)
Vol. 7 Piazzolla & Amelita Baltar (31.7037)
Vol. 8 Piazzolla & the movies (31.7038)
Vol. 9 Roma 1972 (31.7040)
Vol. 10 Milano 1984 (14.7001)

このBella Musicaというのがまた怪しげな会社で、パガーニとどういう話になっているのかは判らないが、また別のレーベルに転売を繰り返している。例えば同じドイツのDigimodeという会社からも00年に同様に10タイトル出ています。アルゼンチンのTrovaからも出ちゃっている。もともと自社で持っている音源も含まれているのに、ライセンス料払ってCD出しているんだから、バカみたい。

話がややこしいですね。まず上の10タイトルの中身を検証しなければいけません。一番酷いのがVol.1。実はこれのアルゼンチン盤(Trova CD 5059、2004年)をラティーナがディスコガイドに載せようとして、私が書いたボツ原稿を載せておきます。

これは悪徳プロデューサー、アルド・パガーニによる編集盤の中でも特に問題の1枚(98年以降ドイツなどで同内容のものが発売済)。映画『エンリコ4世』サントラ(84年)からの4曲((5)~(8))は元々パガーニが権利を持っている音源なのでまぁ問題はない。《天使》連作のうち(2)~(4)は表記の通り84年のミラノでのライヴ録音だが、80年代キンテートによる録音が存在しない(1)は、メロペアにより発掘された63年の放送録音が無断使用されている。最も酷いのは《四季》で、表記の通りコンフント9のイタリアでの72年のライヴなのは(10)のみで、他の3曲はキンテートによる演奏。(9)(11)はRCAへの70年のスタジオ録音の無断使用で、しかも(11)は「秋」ではなく「冬」だ! そして「冬」と表記されている(12)は「夏」(エルミタージュ音源のルガーノ・ライヴ)で、しかも曲の途中(1:36)から始まっている。叩き割りたいほどの恥ずべき編集だ。斎藤充正
Vol.2はめちゃくちゃな編集盤。Vol.3はTrova盤"Adios Nonino"+"Pulsacion"B面、すなわち『ブエノスアイレスのマリア』のインスト抜粋。Vol.4は「バンドネオン協奏曲」シリーズ。Vol.5はそれまでもパガーニが各種レーベルに売り歩いていたコンフント・エレクトロニコとの海賊ライヴ。Vol.6はホセ・アンヘル・トレージェスとのTrova盤(もともとパガーニのプロデュース)にそれまで未発表だったカラオケ3曲を追加。Vol.7はアメリータ・バルタールとの録音(パガーニ・プロデュースのスペインAriola盤LP+1曲)。Vol.8はコンフント9のニセ・ライヴ+『エンリコ4世』サントラからの粗悪編集盤。Vol.9はコンフント9の海賊ライヴ。Vol.10はキンテートの海賊ライヴ2枚組。

で、Bella Musicaはこれらの音源を、日本の各レコード会社にも売ろうとしたのです。

(この話、続きます)

| | Comments (0) | TrackBack (1)

February 08, 2005

ピアソラ名曲選ほか

アルゼンチン・ワーナー盤"Tres minutos con la realidad"ですが、ラティーナ3月号のディスコガイドで紹介することになりました。まもなくCDが届くので、「プレリュードとフーガ」が入っているかどうか確認できます。

さて、ミランの日本での発売元がビクター・エンタテインメントに変わってから、オリジナル・アルバムの再発は一切されていませんでしたが、夏頃に何か出せるかも知れません。それに先駆けて、というわけではないのですが、3月24日にミランのライヴ盤から選曲されたベスト盤『ピアソラ名曲選~アストル・ピアソラ、伝説のライヴ』(VICC-41003)がリリースされることになりました。様々なジャンルで出す「COLEZOシリーズ」というお得プライス盤の1枚だそうで、選曲はビクターの担当ディレクター氏が行いました。『ザ・ローザンヌ・コンサート』『リベルタンゴ~ロキシー劇場1984』『バンドネオン・シンフォニコ』の3枚からのピックアップ。まぁ、私が選曲したら、全然違った形になっただろうと思いますが、今回は私は解説のみです。どちらかというと初心者向けの内容かな。

| | Comments (0) | TrackBack (0)

February 03, 2005

続・現実との3分間

アルゼンチンの研究家、カルロス・クリ Carlos Kuri が著した"PIAZZOLLA - LA MUSICA LIMITE"の第2版(1997年)所載のCDリストには、出版当時はまだ発売前だった"Tres minutos con la realidad"の曲目も「準備中」と称して紹介されていたのですが、そこには「プレリュードとフーガ」も含まれていました。実際にミランから発売された盤にはこの曲は収録されていなかったわけですが、バックインレイ(CDケースの裏側)の曲目表記には、その痕跡が見られます。

198178_2写真(クリックすると大きくなります)は、2003年にユニバーサルから再発された盤のバックインレイですが、曲目表記の部分など基本的な部分は1997年のBMG配給盤と変わっていません(違っているのはバーコードとその右側の部分、バーコード上のロゴのみ)。(p)と(c)も1997 Editions Milan Musicと書かれたまま。ブックレットも基本的に同一です。6. Tango Ballet と書かれた下の行、(palabras de Astor Piazzolla), Preludio y fuga という表記にご注目を。

不可解なのは、ユニバーサル盤で「プレリュードとフーガ」が追加されたのが、どこまで意図的だったのか、ということです。BMG盤で洩れてしまった同曲を意識して追加したのなら、その旨を表記しそうなものです。4曲目の「カモーラII」には、「あるCD(注:『ザ・ローザンヌ・コンサート』のこと)で違う曲に誤ってこの曲名が表記されていたが、セステートの演奏はこれまで未発表」などとわざわざ注釈を付け、ブックレットの裏表紙でもセステートの他のCDと異なる点として第2バンドネオンにフリオ・パネが参加していること、これまで他のCDには未収録だった「タンゴ・バレエ」が含まれていることを挙げているのですから。(←ちょっとわかりにくかったかな。これは97年のBMG盤から引き継がれている表記のことです。2/4追記)

もしかすると、再発の際に、使うつもりのなかったマスターを間違えて使ってしまった、という推測すら成り立ちます。アルゼンチン・ワーナーからは5046-65598-2の番号で再発されているはずですが、現物は未確認。こちらには「プレリュードとフーガ」は含まれているのでしょうか。どなたかお持ちの方はいらっしゃいませんか?

(まだまだ続きます)

| | Comments (2) | TrackBack (0)

February 02, 2005

現実との3分間

ブエノスアイレスで1989年4月に行われたアストル・ピアソラ六重奏団のデビュー公演の模様を収めたライヴ盤"Tres minutos con la realidad"が、フランスのミランからリリースされたのは、1997年のこと。当時ミランの配給は世界的にBMGが行っており、2000年にBMGファンハウスから国内盤『現実との3分間~クルブ・イタリアーノ1989』も出ました。

ミランとBMGとの契約は2002年末で終了したのですが、2003年以降はヨーロッパではユニバーサル、アルゼンチンではワーナー、そして日本ではビクター・エンタテインメントが販売権を獲得と、何故か配給が複雑になってしまいました。実は北米盤は確認出来ていないのですが、ワーナーから出ているのかな?

そして、ユニバーサルからの再発盤(Milan 198 178-2)に、従来のBMG盤には収録されていなかった「プレリュードとフーガ」(とピアソラの言葉)が追加されていると、掲示板に書き込みがあったのが、2003年3月2日のことでした(記事No.[626]。[638]まで関連コメントが続いています)。

あれから2年近く経ち、先日ようやく現物を入手することができました。いやぁ、長かったなぁ。聴いてみたら、確かに入っていました! [6]「タンゴ・バレエ」の拍手の後(従来盤はここまで)、[6]のままindex 2となってまずはピアソラの挨拶。会場にはレオポルド・フェデリコとかマルセロ・ニシンマンとかオスバルド・プグリエーセとかが来ていたんですね。舞台上から謝辞を述べています。

そして[7]が「プレリュードとフーガ」。フリオ・パネとのバンドネオン二重奏がたっぷり。他の楽器が加わっての終盤のアンサンブルも迫力があります。聴けてよかった!

(このネタ続きます)

| | Comments (0) | TrackBack (0)

« January 2005 | Main | March 2005 »